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2005年12月08日(木) もう、日本ばかり責めるのはいい加減にしてほしい。

開戦の日 真珠湾だけではない(12月8日付:朝日新聞社説)

 真珠湾攻撃の印象があまりにも強烈だからだろう。
太平洋戦争は64年前の今日、ハワイの真珠湾で口火が切られた、と思われている。
 しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、
英領のマレー半島に日本軍が上陸した時だ。
 米国の禁輸で石油調達の道を断たれた日本は、
オランダ領インドネシアにある油田の確保を狙った。
そこに至るための軍事行動であり、兵力では真珠湾攻撃をしのぐ大規模な作戦だった。
 戦火は太平洋の全域に広がり、インド洋にも及んだ。
緒戦こそ勝利にわいたが、やがて日本は破局への道を転がり落ちていった。
 生きて帰ることを許されなかった特攻隊員。沖縄の地上戦に倒れ、
広島や長崎の原爆で命を奪われた人々……。
日中戦争以来の日本の犠牲者は、軍民合わせて約300万人とされる。
 むろん、日本だけではない。戦火にさらされたアジアの各地に深い傷跡を残した。
中国の犠牲者は、日本人研究者の推計でも1千万人を上回る。
 米国領だったフィリピンでは日本軍が占領した後、米軍が反撃に転じた。
激しい地上戦が繰り広げられ、約100万人のフィリピン人が命を落とした。
 朝鮮半島やインドネシア、ベトナムなどでも多くの犠牲者が出た。
その一人ひとりに嘆き悲しむ肉親がいたことに、思いを馳(は)せずにはいられない。

 「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と、
いまだに主張する人たちがいる。
 戦争の初期にフィリピンやインドネシアなどで、一部に日本軍を「解放軍」として
歓迎する動きがあったことは事実である。
戦争が独立を早める結果をもたらした地域もある。

 だが、現在は親日的とされるインドネシアですら、高校生向けの歴史教科書は
「わが国を占領したことのある国の中で、日本はもっとも残酷だった」と記す。
それが実態だった。

都合のいい部分にだけ光を当てて戦争を正当化するような言動は、
アジアの心ある人々を遠ざけるだけだろう。

 時はめぐり、いま東アジアに共同体を作る構想が持ち上がっている。
そのパートナーはみな、あの戦争の苦しみを味わった隣人たちである。

 シンガポールのリー・クアンユー元首相は開戦時、18歳の大学生だった。
回顧録(日本経済新聞社)で日本についてこう書いている。
 「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、
それでもいま私は日本人を立派だと思う。
日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。
それらすべてが日本の力のもとになっている」

 こうした思いに応えるためにも、歴史を正面から見つめ、
過ちは過ちとして率直に認めなければならない。
その基盤に立って共に未来を築きたい。

------------------------(引用終了)------------------------

>中国の犠牲者は、日本人研究者の推計でも1千万人を上回る。

中国人の学者が、被害者は5千万と言ってるのは聞いたことがあるが、

その日本人研究者ってどこ誰よ?

日本は都市という都市を爆撃されて核2発を落とされても犠牲者の数は300万人なのに、

たいした戦力も無い日本軍による中国人の犠牲者は1千万人って、ホンマか?



>都合のいい部分にだけ光を当てて

都合の悪い部分ばかりにだけ光を当てる朝日新聞に言われたくわない。

そもそも戦争というのは、善と悪・功と罪、

立場が変われば見方や考え方が変わるのは当然です。

まぁ、戦争というのは、闘いあったお互いの国が

加害者にもなり被害者にもなる残酷なものなので、

善と悪・功と罪もヘッタクレもないですが。

都合のいい部分“ばかり”にだけ光を当て、

しかも必要以上に美化して都合の悪い部分を

まったく無視するのは確かに問題ですが、

部分的とはいえ、いい事もあったというそれも真実であり、

都合のいいことも悪いことも、すべて含めて「歴史」となるなのです。

これまで、私たちは日本の負の部分ばかりを協調された

自虐的な歴史を教えられて育ってきました。

ところが、ネットの普及により、戦時中の日本のいい話も知るようになり、

その事に驚き、「こういう事実もあったんだって」と主張しているだけで、

そういう主張をしたからといって、

ほとんどの人が先の戦争を全肯定しているのではありません。

また、どこぞの国のように、歴史のある部分を全否定して、

その部分を主張する人を罰したり、都合よく何度も改竄して利用したり、

戦時中は戦争を煽りまくった日本のマスコミの一部だって、

自分達の過去の後ろめたさために、そのどこぞの国に加担して

「記事の捏造」をも平気でやってしまうことを考えれば、

都合のいい部分も見るだけならまだ良心的なのではないでしょうか。


>「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と、
>いまだに主張する人たちがいる

これも、その通りです。

タイミング良く、福岡のローカル放送で、

あの戦争を客観的に検証する番組が放送されました。

全国ネットじゃないのが勿体無いぐらいの素晴らしい内容の番組で、

フィオリーナの以心伝心さまがテキストお越しされています。

終戦60周年企画〜あの戦争をどう教えれば良いと思いますか?〜(テキスト起こし)

ミャンマー教育省のトン カインさんに話しを伺いました。(男性)

「戦争は多くの悲劇も生みましたが、
今では独立への第一歩だったと理解しています。
日本の戦争目的がアジア解放だったことは明らかで、
今や世界の常識であり、学校でもそう教えています。
戦後、努力して経済発展した日本をミャンマー人は尊敬しています。」


TNCテレビ西日本 「CUBE」 終戦から60年、私達はあの戦争から何を学んだのでしょうか


アジア解放目的の戦争にだって確かに不幸な目にあった人も多く居ますし、

その反対で感謝している人だって多く居るのです。

そのような事実を知り、朝日新聞のような日本に批判的なものだけを選び出し、

他の意見を検証もせずに垂れ流すことに多くの日本人が、

いい加減ウンザリしてきているのです。


> こうした思いに応えるためにも、歴史を正面から見つめ、
>過ちは過ちとして率直に認めなければならない。
>その基盤に立って共に未来を築きたい。


 戦中の日本はアジア各地に結果的に被害を与えたことも事実なのですから、

この事実を正面から見つめ、日本は自分の言い分を一切封じて、

戦後60年間、わが国なりに誠実に国際条約に従い戦後補償を行い

十二分に償ってきました。

中韓以外の多くのアジアの国々は、そのことについての日本の謝罪を受け入れて、

その後の日本の援助などにも大変感謝してくれています。

また武力を使わない国際貢献で世界平和にも貢献してきました。

そんな日本に対して、これ以上どうしろと言うのでしょうか?

戦争は肯定しませんが、

60年経ってもなお、いやこれから先も日本だけが

悪者として吊し上げられなければいけないのでしょうか。

現在進行形で植民地をもち、軍事力も核も保有している国があるというのに、

そういう国は批判せず、過去の事を根掘り葉掘り穿り返し責め続ける、

この態度は結局強いものや勝ったものが正義と言っているに等しいのではないのでしょうか。

朝日新聞のように強いものや媚びる相手、儲る相手は容認し、

弱いものだけしつこく叩くようなやつらこそが、

真の戦争肯定者ではないかと私は思います。

※参考
要人による靖国神社公式参拝を行った国と地域

アジア
台湾、マレーシア、インド、スリランカ、インドネシア、パキスタン、
イラン、ベトナム、 ミャンマー、タイ、チベット、ソロモン諸島

アジア以外
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、
オランダ、スペイン、フィンランド、ポーランド、スイス、
ルーマニア、リトアニア、アゼルバイジャン、トルコ 、
スロベニア、オーストラリア、ニューギニア、パラオ、トガ、
アルゼンチン、ブラジル、ペルー、チリ、エジプト、パナマ、イスラエル

計39の国と地域


赤が靖国参拝反対してる国

中国、韓国、北朝鮮

計3ヶ国


オランダ  サンティン・アムステルダム市長 (1994年内務大臣)
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦
したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から
追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の
功績は偉大であり血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」

タイ  ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産
して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南ア
ジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して
重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床
に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」

マレーシア  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ
て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ
れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教
育をおこなってくれたのです。」

インドネシア  モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の
戦争を日本が代表して敢行したものです。」

インドネシア  ブン・トモ 元情報相
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人
の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度
持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、
我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」

         サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人
が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたこと
である。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っている
が、それだけですむものではない。」

マレーシア  ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した
時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはと
てもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、
あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取
り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」

パラオのタミイ・レメンゲサウ大統領は、単に日本の常任理事国入りを支持
するだけでなく、国連改革案の共同提案国にまでなってくれた上に、
「最後まで日本を支持したい」と表明した。さらに靖国参拝にも
「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明した。

つい先日、2005年7月10日には、同じく日本が統治したソロモン諸島の
ケマケザ首相は以下のように述べて靖国神社を参拝した。

「日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること。
 英霊が祭られている場所を拝見したい」
 (2005年7月12日 東京朝刊)



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名塚元哉 |←ホームページ