歌手・女優の本田美奈子さん死去ミュージカル「ミス・サイゴン」のヒロイン・キム役などで知られる歌手で女優の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名・工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病で亡くなった。38歳だった。 告別式は9日午前10時から、埼玉県朝霞市大字溝沼1259の1の朝霞市斎場で。喪主は母、美枝子(みえこ)さん。 東京都出身。1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。ロック色の強いパワフルな歌声が人気で、「1986年のマリリン」などのヒット曲を出した。 92年に「ミス・サイゴン」の主役となったのを機に、ミュージカル界へ活動の場を広げ、「レ・ミゼラブル」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「王様と私」などで好演した。2003年には、日本語詞によるクラシック曲を歌ったアルバム「AVE MARIA」を出し、歌手としても新境地を開いていた。 今年1月に急性骨髄性白血病と診断され入院。化学療法などが功を奏し、7月に退院したが、9月に再入院していた。本田美奈子.魂のアルバム…病床からのメッセージ付きただ、新しい薬の投与の影響などで血液を調べる検査を頻繁に行っているそうで、37、38キロという細身の本田の体力を考えると、退院はまだ先だが、順調にいけば、年内に退院できる可能性もあるという。高杉氏は「リハビリで発声練習をしたり、ストレッチを少しずつやったり、退院後すぐにレコーディングができるように曲をセレクトしたりして頑張ってますよ」と説明した。本田美奈子.オフィシャルサイトminako-channelファンの皆様、報道者各位の方々へ 平成17年11月6日本田美奈子.(本名:工藤美奈子)が急性骨髄白血病と宣告され、10ヵ月の闘病生活を送っていましたが、11月6日午前4時38分に永眠いたしましたことをご報告申し上げます。平成17年1月12日に入院、3度の化学療法の治療と5月12日の造血管細胞移植 (臍帯血移植)で7月30日に一時退院、7月31日に自宅で誕生日を迎え、とても幸せな日々でしたが8月24日の定期検診で骨髄移植を行い、8月31日の検査結果にて染色体に異常が発見され、9月7日に再び入院、検査結果で再発が判明、9月24 日アメリカから到着した新薬の抗がん剤を投与し、結果が良好とのことで10月に2度の帰宅が出来、食欲も旺盛で本人は大変喜んでおりました。10月21日の骨髄検査で再び染色体の異常が発見され治療を開始、大変な時を過ごし、明日は治るという希望のもと勇気ある戦いをしていましたが残念なことに本日、急性骨髄白血病のため永眠いたしました。本田美奈子.の生前、本当にいろいろなご支援ご協力をいただきましたことを深く感謝いたします。------------------------(引用終了)---------------------------アイドル時代から、他のアイドルより歌は上手く歌の下手な歌手が軒並み消えていった代わりに、彼女みたいに歌唱力のある人は、ミュージカルなど舞台で重宝され、結果として活躍の幅が広がり、厳しい発声訓練を積み重ねアイドルから本物のミュージカル女優へステップアップ。ミュージカルをTVで観たとき、あの華奢な体から発せられるパワフルで力溢れる歌声に圧倒されっぱなしで、すごい努力をしたのだろうと感動して、ミュージカル女優になってからの彼女に注目し、CDを買うようになったりしました。地道な努力が評価され、クラシックの曲を唄うようになったり活動の幅を広げ、これから、さらに飛躍すると思われた矢先に発病。2ヶ月ほど前に、テレビ東京系の『たけしの誰でもピカソ』で、彼女の特集が組まれ、最後に肉声のコメントが放送されて「順調に回復しています。絶対に戻ってきます。」というメッセージを聞いて、快方に向かっているんだなと嬉しく思っていましたし、先月にはミニアルバムも発売され、復帰に向けての準備も進んでいるのだろう、復帰された暁には、ぜひとも舞台を観に行こうと思っていただけに、あまりにも突然の訃報に正直ショックを隠せません・・・。もうCDや映像の中でしか、あの歌声とその笑顔に逢えないのかと思うと非常に寂しい思いです。闘病生活をしながらも、絶対に舞台に戻れると信じて、また舞台に立つためには休んでばかりはいられないと、ボイストレーニングと軽い筋トレを行っていると人づてに聞いていただけに、ご本人もさぞや無念のことと思います・・・。本田美奈子さんのご冥福を心よりお祈り致します。↑エンピツ投票ボタンです。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加