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2003年08月28日(木) 日本が不作なら北朝鮮は大凶作。

「完全責任能力」認め宅間被告に死刑判決 池田小事件

宅間 守は、ご存知のとおり、自分の思いどおりにいかないことを

全て他人のせいにする性格の持ち主なのだが、

自分の失敗や不甲斐なさを他人のせいにする。

これは、少なからず誰しもが持っていることだとは思います。

要するに、失恋や離婚したり、失業したり、仕事がなかったり、

就職できなかったり、そのために将来が不安だったりすると、

私たちは自分の不幸の原因を他人に転嫁しようとしがちになります。

つまり自分がこんなに不幸なのは、自分には才能がないとか、

努力が足りないとかではなく、誰か他人が自分の邪魔をしているのだという

妄想のようなものが起こりやすくなります。

妄想が固定化して、その妄想に支配されると精神障害ということになりますが、

私たちは自分の不幸や不安の根本的な原因が自分にあるということを

なかなか認めたがらものです。

ホームレスを襲ったり、オヤジ狩りと称して中高年のサラリーマンを襲う少年達は、

攻撃本能を満足させるなどという理由ではなく、現在と将来に不安に怯え、

自らを罰する代わりに弱者を傷つけているし、

妻に暴力を振るう夫も、親に暴力を振るう子供も、子供を虐待してしまう親も、

自己嫌悪のために本当は自分を殴りつけたいのですが、その代替え行為として

身近にいる弱者に攻撃を加えるのは、彼らの根本に甘えがあるからです。

本来なら自分を批判し、自分を攻撃して発奮させなくてはいけないのに、

他人を傷つけ代替しているのだから、それは甘えと逃げです。

競争社会、俗に言う勝ち組と負け組み(現実にはそんなものはないのだが)

の社会にあって、今後、宅間 守のような自分を批判することもなく、

何事も上手く行かないことを他人のせいにして、自分よりも力の弱いものに

狂気を向ける人間は増えています。

(たとえば、むしゃくしゃしてやったという通り魔や放火など。)

そして、理不尽にも、その狂気に自分や家族、

親戚や友人が巻き込まれる恐れもあります。

私たちは、状況が変化すればいつでも被害者に

カテゴライズされてしまう可能性の中に生きています。

だから常に想像力を巡らせ、被害者のことを考慮しなくてはなりません。

それが、私たちを救うための合理性でもあります。

「当然だと思う」 宅間被告死刑判決に小泉首相

>三権分立の原則から論議を呼ぶ可能性もある

この記事書いた記者はバカじゃないの。

三権分立だからこそ、好きなこと言っても影響しないというのが本当なんじゃないの?

影響しちゃうから言えない、というのなら三権分立じゃないとは思う。

朝日記者は中学校の公民から勉強した方がいいのでは?

朝日はこんなくだらないことを記事にするぐらいなら、

コレを記事にしてみろっつーの。

さて、それでは最後に朝日新聞企画室・原 裕司 氏の著書

『極刑を恐れし汝の名は―昭和の生贄にされた死刑囚たち』(洋泉社)から、

香ばしい一節を紹介します。

>冷たい言い方のようだが、殺されてしまった被害者の人権など、
>とっくに消えてしまっている。
>人権を言うなら、生きている加害者の人権こそ保護するべきなのである





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名塚元哉 |←ホームページ