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2002年05月28日(火) 他力本願

今日の朝刊に、

浄土真宗の10の宗派でつくる真宗教団連合が、

オリンパスが16日付の朝刊に載せた新聞広告に

「他力本願から抜けだそう」という表現があったことについて、

同社に抗議文を送ったという記事が書いてあった。

抗議文は「他力本願」とは浄土真宗の宗祖・親鸞が示した言葉で、

仏の願いに生かされ力強く生き抜くという意味だと指摘。

「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と訴えている。

オリンパス広報は「浄土真宗で使う言葉の意味を知らず、

一般で使う他人の力をあてにするという意味で用いた。」

配慮が足りなかったと詫びを入れたそうだ。

たぶん、日本国民の大半が、「他力本願」の意味を後者だと思っている。

僕もその一人で、辞書で調べてみると、

1・〔仏〕弥陀の本願の力に頼って成仏すること。

2・他人の力に頼って事をなすこと。他人まかせにすること。

2つの意味が記載されていた。

この場合は、「どちらが正しい」のではなくて、

「もう一つの意味もあるのですよ。」

と浄土真宗側が、もう一つの意味を知らない私たちに、

抗議という手段ではなく、指摘だけをするのがスタンスだと思うのだが。

さて、世間一般の他力本願に目を向けると、

福祉、教育、育児などの場合、

自分に足りない部分を補うために他力本願はある程度必要だと思うが、

国や企業には、自己責任が前提であって、

他力本願はあってはならないことだと思う。

がしかし、昨年に起こった、

明石歩道橋の事故、狂牛病騒ぎの農水省、雪印食品の不祥事も

今年の一連の外務省問題やミスタードーナッツの問題にしても、

誰かが責任を取ってくれるだろうという、

非常に無責任な他力本願がまかり通っているのが実情で、

現在、国会で審議中の、有事法制も決めるだけ決めておいて、

実際に有事が起こったときは、

その時の総理などが責任をとればいいと思っているのか、

非常に幼稚な質疑が繰り返されるばかりだ。

(まあ、日本の政治家のディベートベタは昔からだが。)

幼稚な答弁しか出来ない政治家を見て、

「世も末だ」と、途方にくれるだけではダメで、

幼稚な政治家から自分を防衛しなくては、

一緒にダメになって没落していく。

危機感もなく、ある種の閉鎖性の中に生きている日本人のほとんども

他力本願で生きているし、これからも生きていくことだろう。

これからの日本のビジョンを考え、求めている人は、実に少ない。




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