白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2007年10月26日(金) 出産のこと【3】

昨日までの日記で出産の経緯は書き終わったのだけど、今日は少しだけ書き加えたいことなど。出産前に想像していた「出産の知識」と「実際の出産」のギャップについて。

出産前、本読み虫の私は「小説等に表現される出産シーンと実際の出産はどれくらい似ているのか」ってことを検証するのが楽しみでならなかった。女性作家さんの描く出産シーンでは「股の間で鮮魚が跳ねたような……」とか「ぬるりと温かい塊が云々…」とか「最後の力を振り絞った瞬間に……」なんて描き方がされていて、自分はどのパターンに属するんだろう……なんて想像していたのだけれど、実際はどのパターンにも当てはまらなかった。

また出産の痛みを説明する時に「鼻の穴から西瓜を出すよなう」とか「大きなウンコをするような」とか「腰をハンマーで殴られたような」とか「下痢(生理痛)を100倍強烈にした感じ」なんて表現が使われるけれど、正直どれもピンとこなかった。

陣痛が不規則だったこともあり「ウンコをしたい感覚」には見舞われなかったし、辛いと言えば辛いけど「最後のを振り絞って云々」というほどの格闘も無かった。助産士さんの指示通りに呼吸したり、力を入れたりするのに無我夢中で、ハッっと気が付いたら「赤ちゃん出てきましたよ」との声と同時に産声が聞こえていた……といえ感じだった。

結局のところ、出産ってのは産まれてくる子供の数だけパターンがあるので、どの出産も似ているようで似ていないのだろうなぁ……って事を思った。だから、もしこれから出産する人から「出産ってどんな感じ?」と聞かれても私には説明することは出来ないだろうと思う。私や私が係わる大切な人達や、あるいは全く係わりあう事のない人達も、それぞれの形でこの世に生を受けたのだなぁ……と思うと感慨深い。

そして最後にもう1つ。「女は子供を産んで一人前」って言う価値観の人がいて、私も出産したらそう思ってしまうんじゃないかと危惧していたけれど、そんな事は無かった。それが私にとって人生のビッグイベントであったって事も、感動したのも事実だが、それまでの生き方や価値観をひっくり返すほどの出来事では無かった。

こんな風に書くと「女は子供を産んで一人前」と言う人から非難されそうだが、出産は経験値の1つとして人生が豊かになるかも知れないけれど、たぶんそれは海外旅行に行った事がある人と無い人の違いくらいじゃないかと思う。

これから始まる(すでに始まっている)子育てにつては、まだ始まったばかりで、何某かを書くことは出来ないけれど「出産」という事だけを取り上げて書いてみると、私の感じた事はこんな感じだった……って事で出産についての覚書きを〆てみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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