白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2007年05月23日(水) 優しさの定義

「優しさ」を定義するのは難しい。私は常々「優しさとは強さを伴って存在する」と思っている。「優しい=弱い」ではない。優しそうに見えるのは、優しいのとは全く違うのだ。

今日、読んでいた本の中に私が言いたかった言葉がズバリと書かれていた。なんだか妙に嬉しかった。本当ならHPの読書録に書くべきなのだろうけれど、備忘録としてこちらにも書いておこうと思う。大崎善生のエッセイ集『傘の自由化は可能か』に収録されている『世界の端で』でより一部引用。

私は優しさとは性格ではなく、人間の行為のことだと思っている。優しい気持ちはきっと誰にでもある。それを、行為として表現することが優しさなのだと。

そうなのだ。優しさとは行動をともなってこそだと思う。だからこそ私は「何もしない人」を優しいとは思わない。たとえ、どんなに口先だけでポーズを取っていたとしても……である。もっとも、考え方は人それぞれなので何が間違っているとか合っているかなんて簡単には言えないのだけど、自分の他にもにたような考えの人がいて、それを文章として表現していた……という事実が嬉しくてたまらなかった。

最近、電車の中では寝ていることが多くて読書量がめっきりと落ち込んでいるのだけれど、そんな中で「これぞ」という文章に出会えたのはラッキーとしか言いようがない。

優しい人でありたいと常々思っているけれど、現実はなかなかそうもいかない。何か行動をするよりも、知らぬ顔をしてやり過ごすことの方がずっと多いのだけど、志は高く持っていたいなぁ……と思う。ちよっと嬉しかったことを書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2003年05月23日(金) ホラふき20年。
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