白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年11月02日(日) 恋する婆さま

今日は向いの婆さまが買い物をしたいと言うので、車椅子と婆さまと、乙女な母を車に乗せて大型スーパーに出掛けた。愚弟はまだ寝ていたので、私が運転手になったのだが、婆さまは「今日はYさん(婆さまは愚弟を「さん」付けで呼ぶ)じゃなくて、白蓮ちゃんなの」と、何気にがっかりしたようだった。

向いの婆さまの愚弟信仰は伊達ぢゃない。

愚弟の名前を呼ぶ時、婆さまの見せるとろけるような表情と言ったら。恋する乙女の瞳で愚弟を語る婆さまを見ていると、なんだかドキドキしてしまう。婆さまは2年前に連れ合いだった爺さまを亡くされて、1人暮らしをされているのだが、おすそ分けで何か食べるものを持っていくと、必ず仏壇に供えて、そこに爺さまが生きているような口調で話しかける。「良かったなぁ。おじいさん。こんなご馳走もらったでぇ」とか「お爺さんの好きな大福やで。食べぇやぁ」とか。死んだ爺さまは、かなりのゴクツブシだったようだが、それでも婆さまは爺さまを深く愛していたようだ。

婆さまは、爺さまの姿を愚弟に重ねているらしく、ことあるごとに「うちのおじいさんに、そっくりやわぁ」と言う。

機械(パソコン)が好きなのも、食べ物の好みも、婆さまの目に、愚弟は爺さまの化身のように映るらしい。なので愚弟に接する婆さまは、孫に対するお祖母ちゃんのそれではなくて、恋する乙女そのものなのだ。

怠け者の夫にかわって、女の細腕で鉄工所を支え、夫の愛人の子供を育て、姑を看取った婆さまは、かなりの苦労人なのだけれど、爺さまが亡くなってもなお、爺さまのことが好きでたまらないようだ。

愚弟の名前を呼ぶときの婆さまは、すっごく可愛い。

婆さまを知る人は「ろくでもない亭主に苦労ばかりさせられて」と婆さまに同情するし、実際そうだと思うのだけど、婆さまを見ているとそうとばかりは言えないように思ったりもする。それほどまでに惚れぬいた相手と一緒に暮らせた婆さまの人生は、そんなに不幸ではなかったんぢゃないかと。ま。これは私が勝手に思っているだけなのだが。

午後は幼なじみのYちゃんとお茶。他人事ながら軽く落ち込む。エネルギーを吸い取られたような……と言うべきか。気が向いたら、明日にでもその話を書こうかな……ってところで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2001年11月02日(金) それは錆びた楔のように

白蓮 |MAILHP