白い木蓮の花の下で  

    ~逝くときは白い木蓮の花の下で~

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2002年08月27日(火) 大人とゲーム

私が久しぶりに、ゲームに着手しているということで
先日、ゲーマー仲間(?)のNさんとゲーム話で盛り上がった。

現役のちびっこ達は、物心ついた頃からゲームがある世代だと思うが
私がはじめてゲームに触れたのは、中学生の頃だった。
我が家にファミコンがやってきたのは、発売よりも随分後のことで
ファミコンをテレビに繋いだ日の感動はいまだに忘れられない。
『ドラクエⅠ』なんかが流行っていた頃で
私もご多分に漏れず「復活の呪文」に苦しめられた経験者である。
それ以降、24歳くらいまでは猿みたいにゲームをしていたように思う。
今にして思えば、あの頃は暇だったのだと思う。

社会人になってからも「さあ今日はラストダンジョンを攻略するぞー」とて
帰宅してプレイするのが楽しみで仕方なかった時期があった。
ヲタク街道をブッチギリ……ってなところだ。
イベントをビデオ収録したことも1度や2度ではないし
Nさんの甥っ子さん(当時小学生)にモンスター育成ゲームにおける
幻のモンスターの作り方のレシピを、自慢げに伝授したりして
そりゃぁ、もう大人げのないヲタクな大人だった。

子供の頃からゲームをしてきて思うことが1つある。
大人になって良かったなぁ……と。

子供の頃は「ゲームは1日1時間」なんて約束が決められていたが
大人になってからは、ゲームをして叱られることはない。
子供には「ゲームをし過ぎると目が悪くなる」なんて言っておきながら
夜な夜なパソコンで長時間、ゲームをするお父さんを知っているし
夫と子供を送り出した後、長時間プレイをするゲーマー主婦も知っている。
たぶん、彼らだってゲームの弊害は知っているのだと思うのだが
それでも我慢できないのだろう……だって面白いし。

大人ってのは、本当にズルイ生き物だと思う。

でもさ……大人には、望むと望まざるとに関わらず
ゲームなんてプレイしてる場合じゃないって時期があったりするのだ。
実際、私もゲームから半分足を洗った状態だった。
ここ最近は「ぬるゲーマー」として復活しつつあるのだけれど。
だから……大人はブッチギリでプレイしたりするのだ。
来るべく「ゲームが出来ないほど大変な状況」に備えて……
とかなんとか言いながら、それが言い分けに過ぎないことはうまでもない。

ズルくてもいい。逞しくプレイしてゆきたい。

今日は「たかがゲーム」のセリフに琴線を揺さぶられてしまった。
これはゲームに限ったことではないのだけれど
ごくまれに、自分が今考えていることと
創作物の中で生きている人の考えていることとが合致すると
なんとも言い難い不思議な気持ちに陥ってしまう。
「創作物」ってのは、すべからく生身の人間が作っているものだから
どこか反応しちゃったりするんだろうなぁ……うむ。

なんだか、考えがまとまりきっていないのだけれども
ゲームの余韻にひたりつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


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