白い木蓮の花の下で ~逝くときは白い木蓮の花の下で~ 目次|過去|未来 【検索からお越しの方へ】
今日は朝から、お買い物に出掛けた。 明日は、お坊さんがお参りにくるので仏壇周りのディスプレイ用品を買う。 仏壇の花。牛と馬を制作するためのキュウリとナスビ&おがら。 それにお供え用の果物を色々と買い込む。 お供えといっても、最後は自分の口に入るので食べたい果物を選んだ。 マンゴーとか、ゴールデン・キーウィ、パパイヤ……その他諸々。 仏壇には似合わないトロピカル・フルーツがメインなのはご愛嬌。 せっかくの機会なので、日頃、食べつけない物が食べたいのだ。 買い物の帰り道、おばぁの居るブドウ屋で、ブドウを送る手配をした。 送り状を書いて「ぢゃぁ、よろしくおねがいします」と店を出ようと思ったら 「ちょっと、姉ちゃん」とて、おばぁから呼び止められる。 おばぁは、売り物のブドウを一房、ビニール袋に入れてくれた。 オマケとのこと。ラッキー♪ 仏壇前の果物が1つ増える。 帰宅後、四苦八苦しながら牛&馬を制作して、果物を並べた。 戴いたお供え物なども、仏壇前に並べて、花を飾って準備完了。 私にとっては、家で迎える2度目のお盆だが、面倒なことこの上ない。 ほんのちょっぴりでも信仰心があれば、そうでもないのかも知れないが 私の場合「なんで、こんなことしなきゃならないんだろう?」と思ってしまう。 仏教的には、お盆には死んだ人が帰ってくる……らしいが 「もう死んぢゃったことだし、あちら側で、ごゆっくり」 ……と思わずにはいられない。 それなのに、あえて形式に従っているのは 乙女な母の意向と、ぶっちゃけた話「世間付き合い」を考えてのこと。 日本の社会で生きていく上で、必要な行事ならば 大人しく従っておこうか……みたいな。 面倒臭くても、仏教行事をすることで、人間関係が円滑にゆくのなら これくらいの面倒は我慢しなきゃいけないのだろうと思う。 余談だが、仏壇に飾る花は、お盆になると普段の倍の値段に跳ね上がる。 ちょっぴり理不尽を感じつつも、仕方なく買っているが そもそも仏壇の花は、仏の袈裟を象徴しているのだとか。 袈裟=仏の懐=仏の愛(仏教的には慈悲)ってことらしい。 ↑高校の授業でならっただけなので、出典は不詳。 思わず「愛もお金で買えるのね」なんてブツクサ言ってしまった。 なんとなく用事をしたぞ……ってことで、プチ・ご褒美として 夕方、レンタル・ビデオを借りに行った。 1年半以上ぶりに行ったので、会員カードが切れていて驚いた。 夜はビデオでも観ながら、ゆっくり過ごそうと思う。 そんな、こんなでお盆休み初日終了。 ……ってことで、今日の日記も、これにてオシマイ。 |