白い木蓮の花の下で ~逝くときは白い木蓮の花の下で~ 目次|過去|未来 【検索からお越しの方へ】
人間の趣向って恐い……と思うことがあった。 昨日、乙女な母と愚弟と話をしていて めずらしく芸能人の話題が上がった。 「じつはね。お母さん、Kがタイプだったりする」と乙女な母。 乙女な母は、乙女であるがゆえに 「誠実そうで、爽やかで、真面目な好青年」が好きだと思っていたので ↑乙女な母自身、そんなタイプの人が好きだと話している。 乙女なK君が好きだというのは、以外な発言だったし なによりもKは私が「人として嫌い」と思うタイプの人間だったので ちょっとエキサイトして話をしてしまった。 「ところでKの、どこが好きなの?」 「だってKの、○○なとこが感じ悪いと思うけど?」 「Kがたまに見せる、○○な部分って、人してどうかと思うし?」 ……ってなことを乙女な母に尋ねてみたら。 乙女な母が毅然と言ってのけたのである。 Kの「あんなところ」や「こんなところ」が嫌なヤツってのは分かっているけど だけどKの「あんなところ」や「こんなところ」は可愛いと思うし やっぱり母はKみたいな男性がタイプである……と。 私は乙女な母がK君の「嫌なところ」に気付いていないと思っていたが 乙女な母はKの「嫌なところ」も気付いていたし、それを知ってもなお 「やっぱりKは母の好みタイプの男である」と言い切った。 まぁ、人の趣向はそれぞれなので、それは、それで良いのだが 母娘で、キッパリ趣向が別れたのは珍しいことだった。 私が特に嫌いな芸能人=乙女な母が特に好きな芸能人 別にどうってことは無いのだが、不思議な感じだった。 ここは1つKと同性である愚弟の意見も聞いてみることに。 愚弟の発言は、なかなか興味深いものだった。 俺も姉と同意見でKは嫌いだし、男として、どうかと思う ……って言うかさ……俺、思うんだけど…… Kの性格とか内面って、本質的に死んだ父と似てるよね。 目から鱗が落ちた思いだった。 今まで私は、どうしてKという芸能人を、そこまで嫌いと感じるのか 自分自身でも不思議に思っていたのだが、なるほど納得。 たしかにKの「あんなところ」や「こんなところ」は死んだ父と似ている。 母が好きだと感じ、私が嫌いだと感じる理由も解明されたも同然だ。 「嫌やわぁぁ。やっぱり、お母さんって男を見る目がないのかなぁ?」 ……とて、乙女な母は、ちょっぴりショックを受けたようだった。 父は放蕩者で、家族に迷惑をかけまくって死んだので 「もう父みたいな人はこりごり」というのが母の口癖なのだが 今回のことで乙女な母は「そんなタイプの男が好き」ってことが 見事に立証されてしまったのだった。 娘としては「それでも好きだったのね」って事実は嬉しくもあったが…… 人間の趣向って恐いなぁ……と思わずにはいられなかった。 いま流行りの「だめんず・うぉ~か~」なども、こ~ゆ~事なのだろう。 好きという感情は理屈ではなく、もっと深い部分から沸きあがってくるもので 自分では、どうしようもないモノなのではないかと…… ……ってことは「一緒になる運命」ってのも存在するのかと思ってみたり。 もちろん理性で「好き」だと感じることもあるだろうが 「惚れる」とか「惹かれる」ってなことになると もっと動物的だったり、本能的だったりするのかも知れない。 私は運命論者ではないし、「運命」を言い訳に使うのは嫌いだが それでも見えない糸と言うか、繋がりと言うか そ~ゆ~ものは存在しているのか知れないなぁ……と思った。 「引き合う作用」ってな感じのものがあるんぢゃないかと。 広い意味で使ってみるとするならば 示し合わせている訳ぢゃないのに、似た趣味の人が集って友人になった。 ……みたいなこととか。 なんとなく、「日記らしからぬ」そんなことを書いてみたりして 今日の日記は、これにてオシマイ。 |