白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年11月26日(月) 不公平に涙しました。

今日は、ちょっと胸いっぱいになっちゃってます。

以前「さるさる日記」でお世話になっていた方の日記に
母上が、入院生活に入られて1年が過ぎた
……という話を書いておられたのを読んで
その方とはお会いしたことも無いような間柄なのに
なぜか泣けてきてたまらなかったのです。

その方の母上は完治するのが非常に難しい病気なのです。

世の中には「哀しいこと」なんて
掃いて捨てるほどあると思います。
口にしないだけで、誰しも辛いことの1つや2つはあると思います。
だけど、世の中をぐるりと見渡せば
けっこう「いい感じ」で日々を過ごしている人だって多いと思います。

「幸せ」や「不幸せ」というものは、あまりにも観念的なものだから
相対評価なんて出来るはずもないのだけれど
それでも、私は思ってしまうのです。

世の中って不公平。

でも、だからって、不公平に甘んじていちゃ駄目なんですよね。
……分かってます。
嫌っちゅ〜ほど分かってます。
私自身、不公平に甘んじる気なんて、さらさら無いですし
毎日シャカリキに日々を過ごしています。

ただ、あまりにも激し過ぎる不公平の中で頑張っている人を見ると
なんだか泣けてくるんです。
「頑張ってください」だの「希望を捨てないでね」だの
そんな安易な励ましが役に立ちそうも無かったりする時もあったりして
そんな時は、ただ呆然とするばかりで
何が出来る訳でもなく、ただ泣けてくるのです。

神様でも、仏様でも、イエス様でも、サイババ様でも
誰だってかまいません。
世の中から無くしてもらえませんかね?

「病気」ってやつ。

「病気」があるからこそ「健康」の大切さが分かるだなんて
健康な人の理論でしかありません。
身体も心も健康である方が良いに決まってます。

前向きだろ〜が、後ろ向きだろ〜が、現実は現実です。
そして現実が重過ぎて、困っちゃってる方がいます。

頼むで。マジで。

今日は胸いっぱいなので、いつもの調子の日記ぢゃないですが
これ以上書くと、クドくなりそうなので、これでおしまいにします。
訳わかんない文章、ここまで読んでくれた「あなた」どうもありがとです。
明日は元気になってると思うので、明日もよろしくお願いします。


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