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2004年10月30日(土)[神と重力

昨日の運動による筋肉痛が、ギリギリ翌日に来て秘かに安心しました。
腕が…重い。
しかし以前よりスポーツにおける反応速度が
早くなっているような気がするのは、やはりチャリのおかげでしょうか。
反応遅れるとリアルに危ないので、チャリ…!

で、昨日の集まりの中で、ディスカッションめいたものをした中で
少し「ん?」と思ったことがあったので少し。



アメリカ人の御方に、
  「神(God)や魂(spirit)、そしてジーザスについてどう思う?」
と聞かれたので、いろいろ思うところはあったのですが、
  「そういうものは、多くの人が信じて初めてリアルになる」
というようなことをしどろもどろに返すと、
  「じゃあ君は重力(gravity)を信じるかい?
   多くの人が信じなかったらそれはないものになるのかな?」
と言われ、意味がつかめずに口を噤んでしまいました。

その場にいた別の留学生(韓国人だったような)が、
  「多くの人が縋るものを求めた時、たまたまそこにジーザスがいたから
   皆縋ったんだ。それだけだ」
と引き継ぐ感じで会話は終わったのですが、私は釈然とせず、
翌日、なんで彼(アメリカ人)そんなふうに言ったんだろう、
と考えてみました。


神と重力は、どっちも目に見えないものです。
神を信仰していない私にとって、重力は感じるから実在している、と思える。
手に持っているリンゴを空中で離せば、落ちますね。
あらゆるものは地球に引き寄せられていく。
じゃあ神は?
神を信仰している人にとって、それは「感じることのできる」事象なんでしょうか?
重力と同じくらいに?

重力という存在が「感じ、信じることによって実在する」という
私の言葉を法則とするなら、
神にも「感じ、信じることによって実在する」という法則を
あてはめられるものなのか?

いや、それは多分違う。
私からすれば、神は人が作ったものです。
人類の歴史と共に生まれ、人類が滅びれば彼もまたその命を終えざるを得ない。
それに対し重力は、人類が生まれるずっと前から無重力という形で
宇宙に存在し、これからもずっとある。
でも、ここに根本的な相違があると思うのです。
神を信じる人たちにとって、科学云々という話は放っておかれ、
神こそがこの世界を作ったんでしょう。
神は存在してだから世界がある、という大前提が彼らの中にはある。


あぁなんだこれ。
自分が何の日本語を語っているのかわからなくなってきました(汗)

でもそういう御託は放っておいても言えることは、
昨日の彼にとっては、神は重力と同じくらいにリアルなんだろう。
(そんなまとめか)

多分これは、一生平行線を辿るのではないかと思います。
もしすごいフランクにこの問題について話せるクリスチャンの友人とかを作れたら、
おそらく一晩中かかるでしょうな…。




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