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2004年08月07日(土)[神は沈黙せず

アメリカに来ていると言うのに、日本語の本を読み始めた不良留学生です。
「神は沈黙せず」。
まだ半分ほどしか読んでいませんが、面白いです。
神というものの存在を認めながらも、
神は人間のこともこの世界のことも気にかけてなどいない、
なぜならこの世界は神が作り出したシミュレーション・ゲームだから、
と言う突拍子もない話なのですが、
妙に真実味があってぞっとすることもあります。
人間が、虫籠の中の虫を永遠に理解できないのと同じように、
神は永遠に人間のことを理解などできない、と言う論理に、
頷いてしまったりしています。


そんな本を読みつつ、毎週日曜には教会で行われる日曜学校に参加しています。
教会にあるいくつかの小さな教室に世代別で分かれ、
聖書を読み解くというヤツです。
詳しいことはサッパリですが、まずそのクラスで、
教会に来ている人たちが聖書をすっかり信じていることを目の当たりにして、
軽いカルチャーショックを受けた秋津です。
この国の大半がキリスト教徒だという事実を忘れていました。
大半って、なんだか空恐ろしいです。
国民の大半が、信じている者が同じということになります。
多少の見解の違いはあっても。

私が今いる地域の人々は、少なくとも私が見た限りは、とても真面目で、誠実で
敬虔で、時に退屈なくらいです。


この人たちが、世界最強の軍隊を送り出す国の国民とはとても思えない。
彼らは、外界に左右されないように見える。
大きな大きな箱庭の中にいて、その中で起きる問題には過敏だけれど、
その外の問題は対岸の火事だ。
彼らは対岸の火事に対する関心は失わないけれど、
その火の粉を身近に感じることはない。
ここにいると平和に思えるかも知れないけど、それは同時に偽りにも思える。
曇ったガラスの中にいる気分だ。
ガラスを拭いてみれば外が見える。
そして私は、そこに何があるのかだいたい知っている。
戦争と死、矛盾、そして無秩序。
見えない恐怖、国に引き裂かれた家族、望まない軍役に就く友人を見送る気持ち。
それらは私にとってリアルだ。時に刺すように痛い。
けれど私はそれを感じていたいです。



×××



ある日曜、家に戻ってから、ホストファザーと少し話をしました。

「私には信仰も神も聖書もないから、日曜学校は興味深く、時に奇妙に思える」
と言うことを話したら、
「だったら、君は何故この世界にいるのだと思う?」
とズバリ訊かれたので、
「アクシデント(偶然)だ」
と答えました。
必然などなくて、すべて偶然の産物だ、と続けると、彼は
「じゃあ地球は大きなアクシデントだね。僕も妻も、
この家さえもアクシデントなんだ」
と笑い、
「僕はそうは思わない。すべてのことには理由(reason)があるんだ。
 エンジニアが車を組み立てるのが、アクシデントでは不可能なように」
と続けました。

ほんの短い会話でしたが、彼と話せたことを嬉しく思いました。
アメリカ人と政治と宗教について話すな、と何かに書いてあったのですが、
日曜学校に行って以来、誰かと話したくて仕方なかったのです。
意見は違ってもいいから、一生沿わなくてもいいから、ただ話したかったのです。
彼と私の見解は一生一致することはないと思うけれど、
英語で彼の考えを知ることができたことは、
私にとってこの上ない宝物だと思いました。




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