金色の夢を、ずっと見てる

2010年12月29日(水) 咲良的今年の重大ニュース。

こないだ気づいたんですが、去年はこれやってないんですね。


てなわけで(どんなわけだ)超個人的ニュースランキングです。
まずは5位。

・白大島、買っちゃった☆


え〜、着物好きな方には言わずもがなな事ですが、『白大島』とは着物の種類です。

大島紬と言えば泥染めが一般的。ゆえにほとんどの大島紬は黒っぽいです。それが、泥は泥でもちょっと特殊な泥で染められた白い大島紬が『白大島』。私が買ったのはその中でもちょっと珍しい、竹炭の粉で染められた物です。

何度かここでも書きましたが、黒大島は義母にもらったんですね。で、紬って正絹とはいえ着物の中ではあくまでも普段着の扱いなので、自分で買うには贅沢すぎる…と『高嶺の花』だと思っていたら、思いがけずもらっちゃったの。んで、某呉服屋さんの展示会で『黒大島は持ってる』という話をしたら
「じゃぁ白大島見てみる?」
と見せてくれて、これがまた素晴らしく好みだったんですよ……。

真っ白だと着た時に逆に肌の色が黒く見えてしまうんだけど、これは竹炭の粉で染めてあるので真っ白じゃなくてわずかにグレーがかってて、それがいい感じに肌になじむんですね。それでもやはり『正装には使えない』事を考えると高いので相当悩んだんですが、こんなにツボに入るものにこの値段で出会えるチャンスがまたあるとは思えない…という事で、ベタな表現ですが、清水の舞台から飛び降りました。

分不相応な贅沢だよな〜と思いつつ、買った事に後悔はありません。頑張って働きます(苦笑)



そして4位。
・親友の渡米が決定。


小学校からの親友マキが、旦那さんの仕事に伴い来年の春から渡米する事が決まりました。

1〜2年の期間限定と判ってるので、単身赴任もちょっとだけ考えたそうですが、2人の間には2歳の愛娘リリちゃんが。ただでさえ旦那さんは忙しくてリリちゃんと過ごせる時間が少なく、マキ抜きでは1〜2時間が限度。この状態で今2年も離れたら、旦那さんが帰国する頃にはリリちゃんはパパの事を忘れてしまうんじゃないか…と、あながち冗談では済まされない不安に襲われ、マキもついて行く事にしたんだそうです。

ところが、決まった直後にマキの第二子妊娠がわかり、しかも予定日が5月(笑)結局、産んで落ち着いてから追いかけて行く事になりました。期間限定とはいえ、周囲に頼れる人がいない環境で乳児を含む2人の育児…想像するだけで私なら『ごめんなさい、単身赴任してください』と頭を下げますが、マキは覚悟を決めたようです。

正直、今までだってそう頻繁に会ってたわけじゃないけど、いざそう簡単には会えない距離に行かれちゃうと思うと、すごく寂しいです。何かあっても
「じゃぁちょっと今から行くから!」
ってわけにはいかないし。寂しいし、心配でもあるけど、応援するしかないですね。心配なのでブログでも始めろと勧めてみます(苦笑)



3位。
・nishi-kenさんにハマる。


いや〜もう何年かぶりに、こんなにハマるミュージシャンに出会いました。

つーかnishi-kenさんてミュージシャンなのか?コンポーザー?プロデューサー?私は出会いが『ウツのライブのサポートミュージシャン』だったので、どうしてもミュージシャンとして見てしまうんですが。

そして今回ほど、ネット社会のすごさを実感した事はありません。今までもウツのHPぐらいは見てましたが、nishi-kenさんを好きになってからはブログのチェックやらツイッターのフォローやら、ネットのおかげでこんなにも身近に感じられてしまう事に驚くやら怖くなるやら。

だってさ、私はnishi-kenさんのツイートだけ携帯に転送されるように設定してるんですが、これって『○○さんがツイートしました』みたいなお知らせじゃなくて、ツイートの内容がそのままメールで来るんですよね。これってうっかりすると、直接メールが来てるような錯覚に陥るんですよ。しかも、ツイートにリプライをすると、ごくたまにではあるけど本人から更にレスが来たりする。“ミュージシャンと1ファン”という間柄でしかないのに、何度かそういう事があるうちに直接の知り合いになったような気さえしてくるじゃないですか。

……これは危険ですよ(笑)なんか勘違いしてストーカーになっちゃったりする人の心境が判る気がするもん(苦笑)実際の距離以上に親近感持っちゃうんだよね。


まぁそこは気をつけながら、当分は続きそうなこのトキメキを楽しみたいと思います(笑)



そして2位。
・ウツ、16年ぶりに来熊。


94年のファーストソロツアー以来の熊本ライブ。しかもライブハウス。これは行くしかない!とウキウキで行ってきました。

………そしてあまりのカッコよさと楽しさに撃墜され、思わず予定外の福岡公演まで行ってしまったのは11月の日記にも書いた通り。(そしてそこで上記のnishi-kenさんとも出会うわけですが)

いっや〜、カッコよかった。少し痩せてたのもカッコよかったし、nishi-kenさんが作った新曲もがっちりファンのツボを突く出来で素晴らしかったし、ライブハウスという今までにはない空間でリラックスしてメンバーをいじりまくるトークも楽しかったし、狭いハコだから尚更近くで感じられたウツの熱と色気。

去年のF.O.Dをサポメンに従えてTMの曲で楽しませてくれたライブも素晴らしかったんだけど、正直、今年のjjsツアーはそれを上回る楽しさでした。なかなか映像が見つからないnishi-kenさんのプレイも含めて(笑)こんなにもDVD化が待ち遠しいライブは久しぶりです。









で、1位。

・祖母の逝去。


5位からトントントンと比較的明るい話題が続いて、ここでいきなり重い話題で申し訳ないのですが。

11月7日、母方の祖母が彼岸へと旅立ちました。80歳でした。


父方の祖父母と、母方の祖父はもうみんな10年以上前にそれぞれ見送っていて。今回の祖母で最後でした。だからというわけでもないのですが、正直、今までで一番辛かったです。


一番かわいがってもらった祖母でした。もっとも、10年以上前に脳卒中で倒れて以降はずっと施設や病院を行ったり来たりで、あまり会えずにいました。いえ、会おうと思えば会えたんです。私が会いに行きさえすればいつでも。



でも、行きませんでした。行けませんでした。



私の記憶の中の祖母はいつでも元気で、一緒に畑に連れて行ってくれたり、夏休みに泊まりに行けばご飯を用意してくれて、岩がごろごろする近くの小川で一緒に水遊びをしてくれる人でした。

入院して、施設に入って、少しずつ弱って小さくなっていく祖母を見るのが辛かった。段々自分の事ができなくなり、徐々に寝たきりになり、食事も自分で摂れなくなって、会いに行ってもほとんど眠ってる事が多くて、たまに起きてても会話もままならない。そんな祖母を見るのが辛くて怖くて、私は会いに行けませんでした。



それでも結婚が決まった時、結婚式に出てもらうのはもうどう頑張っても無理だけど、せめて花嫁姿だけでも見せたい。そう思ってプランナーさんや写真屋さんに相談して、施設の相談員さんにも協力してもらって、前撮りの時に入所してる施設に行く事ができました。

その日は祖母も調子が良くて、白無垢姿の私を見て
「きれいかよー」
と笑顔で言ってくれました。



11月7日の夜、祖母がかなり危ないらしいという話をイトコから電話で知らされ、状況を確かめようと母に電話しました。

「あぁもう聞いたの?お母さん達も今から行くのよ。あ、でも咲良は来なくて良いよ。ユウもいるんだし。明日のお通夜には来れるでしょ?」


……お通夜?誰の?

「え?聞いたんじゃないの?」

私は、まだ『おばあちゃんが危ない』って聞いただけだよ?

「あぁ、じゃぁその後が伝わってないのね。危ないんじゃなくて、もうダメだったの。お母さんも間に合わなかったの」


その瞬間、自分でも驚くほど一瞬で涙があふれました。精一杯頑張って
「私も行く」
と言ったけど
「いいわよ。次郎さんもユウもご飯まだでしょ?来たからって何をするわけでもないし、明日でいいから」
と言われました。電話を切ってその場に座り込み号泣する私を見て、お風呂から上がってきたユウがビックリして、わけも判らないまま一緒に大泣きしてくれました。その日は、堪え切れずに私が泣き出すとユウも心配して一緒に泣いてしまう…という事を何度も繰り返し、『母親が不安定だと子供にも伝わっちゃうんだなぁ…』なんて事をぼんやりと思ったのを覚えています。


通夜と葬儀は自宅でした。私も含めた9人の孫が数年ぶりに全員揃いました。大半はもう結婚していて、ひ孫もユウを含めて11人もいました。そんな席でも仲良くなって楽しそうに走り回る子供達を見て
「これだけの孫やひ孫に囲まれて旅立てるばあちゃんは、幸せなのかもしれないな」
と思えました。



あまりに突然の別れで、正直言うと、今でも辛いです。もう四十九日も終えて納骨も済んだのに、今でも思い出せば涙が出ます。もっと会いに行けばよかったと後悔ばかりで、結果的に最後の写真になってしまった前撮りの時の写真は、今はまだ見れません。


弱っていく祖母を見るのが辛かった。でも、今は、どんな姿でも祖母をきちんと見ておかなかった事がこんなにも辛い。


だったらせめて、自分の親の時にはこんな思いをしないようにしなきゃ、と。もう自分達もそんな事を考えなければいけない年齢になってしまったんだなぁ、と。イトコ達とそんな話をしました。






それでも、2010年は概ね良い年だったと思います。祖母との別れは辛かったけど、それ以外は大きな事故やトラブルもなく過ごせました。2011年も平和に過ごせますように。

そして、彼岸に渡った祖母が、17年前に先に向こうへ行った祖父と無事に会えて心安らかにいてくれるようにと、願うばかりです。


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咲良 [MAIL]

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