2008年01月25日(金) |
「中型」って言うと二輪みたいだな。 |
今日は休暇を取って免許の更新に行ってきました。
朝からいつものようにユウを保育園に預けて、免許センターへ。ちょうど受付からそう待たずに講習が始まるタイミングで、ぽんぽんと手続きもスムーズに。
3年弱前に結婚した時に免許証の名義変更も一応したんですが、その時は新しい住所や名前を裏書されただけだったんですよね。で、今回の更新でようやく表の名前が今の名前になりました。変更した時は 「次の更新まで2年半ぐらい、免許証(の表)は旧姓なのか〜」 と思ったんですが、過ぎてみると早かったなぁ。
・・・・あ、だからって免許証が旧姓なのがイヤだったわけじゃないんですけどね。わざわざ住民票とか用意して変更に行ったのに裏に手書きされるだけかい!というのがひっかかっただけで。
なんか、今回の更新から私の免許証は『中型免許』になるんだそうです。今までは車の免許って『普通免許』と『大型免許』の2種類だったのが、運転できる車の大きさや乗員数などももうちょっと細かく分かれて『普通』と『中型』と『大型』の3種類になるんだって。
ちなみにこうやって更新によって無条件に『普通免許』から『中型』になった人は、本来なら11t車まで運転できる中型免許でも8t車までの制限付き。試験を受けて通れば、本当に11t車まで運転できる中型の免許証がもらえるらしい・・・・・いや、8tで充分です。乗る機会ないけど(苦笑)
ちゃんとした中型免許だと、29人まで乗れる車を運転できるそうですよ。それって小型のバスじゃない?
免許更新が済んだら、もう1つの大事な用事。
実は、以前うちの会社のよその営業所に勤めてたパートさんが先月亡くなられてた事を、ついこの前知ったんです。
もう辞めて何年か経ってる人だし、そのお父さんもうちの職員だったんだけどもう定年してる人だし、接触はほとんどないんですが・・・・・・そのパートさんとは個人的にも親しくしてて、何度か食事に行ったりもしたんですよ。私が結婚してからも 「また会いましょうよー」 なんてメールのやり取りはしてたんだけどなかなか都合がつかず、そうこうしてるうちに私が妊娠してますます予定が立てにくくなっちゃって、結局もう2年以上会ってなかった人。
その人が先月亡くなったって聞いて。
え?でもまだ40代だよね!?と思ったのですが、私にその話を伝えてくれた人の説明ではどうにも要領を得なかったので、せっかく休みを取ってて時間があるのだからと、直接弔問に行かせてもらう事にしました。
前日に連絡を入れておいたので、元職員であるお父さんとお母さん、お父さんのお姉さんであるらしいおばさんの3人で出迎えてくれました。
そのパートさんは元々足が不自由な人で、定期的に手術を受けなきゃいけなかったんです。先月もその手術をして、その後のリハビリに入ってからの急逝だったそうです。死因は、『肺塞栓症』・・・・いわゆる『エコノミークラス症候群』です。
術後の経過が悪く、体のどこかで出来た血栓が肺に詰まったのが原因との事ですが、いろいろ話を聞いてみるとなんだか微妙な状況になっていました。
どうも、病院側の管理ミスがあったようなんです。
手術後、本人が痛みを訴えてるのに 「そんなに痛いはずはない、痛みが残るような手術じゃなかったんだから」 「この手術をしてそんなに痛がるのはあなただけだ。甘えないで」 という内容の事を言われて取り合ってもらえなかったとか、血栓が出来たのは本人が痛がって動くのを嫌がったからだと、まるで本人が悪かったと言わんばかりの事も言われたそうで。
しかも、ある数値が異様に高くて、普通の人なら10ちょっとのはずが術後の彼女の場合は40を超えてたんだそうです。そして普通の病院ならその数値が30を超えたらすぐにでも血栓が出来た可能性を考えて治療したり検査したりするはずなのに、その病院では 「○○(他の検査)で異常がないから大丈夫です」 と何もしなかった、と。
たまたま、身内に医療関係の仕事をしてる人がいて詳しい事がわかるので病院側を問い詰めたところ、そういう「普通ならする検査や治療をしなかった」って事を認めたらしく、病院と遺族で揉めてるのだそうです。
その他にも、彼女が急変した時にちょうど家族が病院に来てたのに 「治療してますから」 と言うだけで詳しい症状や治療の内容を何も説明してもらえず、数時間後にいきなり 「亡くなられました」 と言われて驚愕したとか、手術前の説明の段階で医療費補助の申請をしようとしたら 「この程度のお金も出せないのか」 というような事を言われて酷く傷ついたりもしらしく・・・・・
でもご両親も別に裁判沙汰やマスコミ騒ぎにしたいわけではなく、ただ自分達の娘に何が起こったのかを明らかにして欲しい、そのうえで、病院の治療や体勢に問題があったのならきちんと認めて謝罪して、今後同じような犠牲者を出さないようにしてほしい・・・と思ってるだけで。
今までにも同じ手術は何度もしてて、それは毎回福岡の病院まで出向いてたんだそうです。でもそれだとその度に交通費やなんやと余分なお金もかかるので、両親にあまり負担をかけたくないからと本人から熊本での手術を希望し、福岡のいつもの執刀医の先生が熊本まで来てくれることになったので、熊本でかかりつけの病院で手術をしてそのままそこに入院してリハビリする予定だった、と。
ご両親の気持ちも複雑そうでした。手術をしてもらう以外はずっとその病院にかかってて信頼もしてたのに、今回も福岡で手術をしていれば死なずに済んだかもしれないのに、って。
私と何度か食事に行ったりした事は家でも話してたそうで、でも 「支社の咲良さんと」 ではなく 「咲良ちゃんと」 と普通に話してたから、ご家族は最初はどこの友達かと思ったぐらいだったらしいです。 「よく話してましたよ。仕事以外でも仲良くなれて嬉しいって言ってました」 とお母さんが言ってくださったので泣いてしまいました。
いつでも会えると思ってたのに。足が不自由といっても命に関わるような病気ではないんだから、これからもずっと仲良くしていけると思ってたのに。
離婚して子供2人を引き取って実家で暮してた彼女は、松葉杖なしでは歩けない状態だったけど、それでもちゃんと働いて子供のために少しずつ貯金もしてる人でした。営業所の職員にも好かれてて、今回の訃報を聞いて遠方に転勤してた若手の子がわざわざ弔問に来たりもしたそうです。お葬式が終わって、念のためにと余った香典返し50個ぐらいを家に持ち帰っていたら、後から知って来てくれる人が絶えず、ほんの数日で無くなってしまったんだそうです。
「会社の奴らだけじゃなくて、私達が知らない友達も本当にたくさん来てくれました。咲良さんもこうして家まで来てくれて・・・・・足が不自由だったり離婚したりと幸せ薄い子だと思ってたけど、良い友達には恵まれてたんだなぁ」 とお父さんがしみじみと言ってました。
高校生と中学生の子供2人を残して、自分に何が起こったのかもわからないままこの世を去らなければいけなかった彼女の無念を思うと、辛いです。日々の忙しさに紛れて会う時間を積極的に作ろうとしなかった自分が悔しくてたまりません。その気になれば時間なんていつでも作れたのに。こんな風に会えなくなるなんて思わなかったから。
残された孫2人を私達が育て上げないといけないから・・・と寂しそうに笑うご両親。病院側との話し合いは納得するまで続けるんだそうです。ちゃんとした書類も作ってしかるべき機関に提出して、満足いく説明も治療も受けられなかったという思いをきちんと解消できるまで 「諦めませんよ。がんばります」 と仰っていました。 「同じような治療をしてるのなら、同じように亡くなった人がいるかもしれない、これから亡くなる人が出るかもしれない。そういう事がないようにきちんとしてもわらないと。娘の死を無駄にしたくないじゃないですか」
病院には病院の言い分があるんだろうけど、患者や遺族が納得も満足もしてない以上、対応はしてほしいと思います。
こんなカタチで会いたくはなかったけど、最後にきちんとご挨拶に行けて良かったです。
さよなら、ちかさん。
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