金色の夢を、ずっと見てる

2006年03月12日(日) 子育てがしにくいらしい世の中に思う。

もうじき私も『母親』になるわけですが、それに関してちょっと気になるやり取りを見つけたので考えてみました。

まず最初に
『子連れで出かける時はこっちもめいっぱい気を使ってるつもりなんだけど、それでも世間からは邪魔だと感じられてるようで悲しい』
という話。それがここ

それに関して
『でも誰だって昔は子供だったんだから、そこで邪魔者扱いしちゃいかんだろ』
というコメントがここ

その後、本題はちょっと違う話なんだけど
『子供を連れてる方も、周りの人間も、お互いに空気を読んで相手を気遣う事が必要なのでは』
という話をされてるのがここ

さらにそれに対して
『なんで子連れだというだけで恐縮しなきゃいけないのか』
と意見を述べられてるのが
ここ


それから、最終的に
『子供がうるさいのはわかってる。それは仕方ないから、謝るから、だからもうちょっと温かい目で見てはもらえないだろうか』
と呟いておられるのがここ



できれば、上記5つのブログを読んでからこの先を読んで頂きたい。



何度かこの日記にも書いてますが、私は正直言ってそこまで子供好きなわけじゃありません。むしろ苦手かも。うるさいし、理屈は通じないし、言っても聞かないし、すぐ泣くし。

友達の子供はかわいいと思うんだけど、それ以外の子供は特になんとも思わないし(遠くから見て小動物を見るようにかわいいな〜とは思うけど)、むしろ公共の場でうるさい子供とか本当にイライラしたりする。

友達の子供でも、一緒に出かけてて子供がわがままを言ったりぐずったりするとどう対応していいかわからなくて逃げたくなるし、預けて出かけてて
「ごめん、子供が泣いてるって電話来たから帰らなきゃ」
とか途中で切り上げられたりするとうんざりする。


でも、どの場合も、それはもう仕方ない事だと思ってはいます。前はもっと露骨に子供嫌いだったんですよ。でもどこかで読んだ話でこういうのがあったんです。


バスの中で、赤ちゃんが泣き出しました。お母さんがいくらあやしても泣き止まず、ますます泣き声は大きくなる一方。周囲の空気も、段々冷ややかになっていき、ついにそのお母さんは運転手さんに
「すいません、バスを止めてくれませんか。降ります」
と言いました。あからさまにホッとした空気が流れる車内。でもそこで運転手さんが聞きました。
「次(のバス停)で降りる予定だったんですか?」
「いえ、違いますけど・・・・このままじゃご迷惑なので」
「だったら気にする必要はない。赤ん坊が泣くのは当たり前の事です。あなたも私も、このバスの他のお客さんもみーんな、そうやって周りに迷惑をかけながら育ってきたんだ。自分がしてきた事なんだから、今になって迷惑だなんて言っちゃいけないんです。どうぞ降りるつもりだった所まで乗ってお行きなさい」
周囲の乗客達は恥じ入るようにうつむき、中には照れたように笑う人も。結局その母子は目的地までバスに乗り、運転手さんに何度も頭を下げながら降りて行ったそうです。



この話を読んで以来、赤ちゃんに対する見方が少し変わりました。そっかー、仕方ないんだ。お母さんが泣き止ませようとしたらすぐ泣き止むってものでもないんだし、自分も昔はそうだったんだ。

だったら、うるさいなんて迷惑そうにしちゃいけないよなー。


ごく自然にそう思えました。



でも、例えばファミレスとかで傍若無人に走り回る子供は実際に迷惑なわけですよ。そうなると、腹が立つのはその子供本人じゃなくて、それを放置してる親の方に対して腹が立つようになってきたんですね。

ファミレスやら居酒屋やらデパートやらで、子供がはしゃいじゃってうるさいのは仕方ない。でもなんでそれを放っとくの?周りに迷惑かけてるじゃん。アンタ(親)は慣れてるから平気かもしれないけど、周りの人間すべてがそうってわけじゃないのよ。うるさいものはうるさいのよ。公共の場に連れて来るんだったら、騒いで周囲に迷惑掛けないように言い聞かせるか、騒いだらすぐ注意するとか、言い聞かせて判る年齢になってから連れて来るとか、もうちょっと周りに気を使えないの!?

・・・・と思うようになりました。


ここまでは、上で紹介してるブログの3つ目までなわけです。


で、ここで4つ目の記事。
『なんで子連れだというだけで恐縮しなきゃいけないのか。そういう社会の空気がひいては少子化に繋がってるんじゃないか』
という意見を見て・・・・・・


う〜ん。

と思ったんです。


一理ある。確かに、子供を連れて出かけようと思った時に、大変そうだと思う事はたくさんあるわけです。前にリナもちょっとこの日の日記で書いてたけど、エレベータ−を使おうにも中に人がぎゅうぎゅうに乗ってて譲ってくれなかったらどうしようもないし、デパートの入り口のドアも自動ドアじゃなきゃ開けるのに一苦労。泣けば周囲にはうるさいと思われるだろうし、おむつだって途中で替えてやらなきゃいけない。そりゃー大変だろう。


でもさ。


その“周囲の人”の気持ちもちょっとわかっちゃうのです。最近では私もお腹が大きくなってきて疲れやすくなってるのでたまにエレベーターを(最初から上層階を目指す時だけ)使いますが、普段はエスカレーターです。で、たまにすごく疲れててエレベーターに乗ってる時に、すでに混んでるその箱にベビーカーを押した人が乗りたがってる。でも誰かが降りてスペースを譲ってあげないととても無理・・・そういう状況で、さらっと降りてあげようという気にはなれなかったりもするんですよ。

さすがに
「そんな邪魔になるもの押して街なんか来てんじゃねーよ」
とまでは思いませんが、
「ごめんねー。こっちもきついんだー。次の箱を待ってくれー」
と思って見て見ぬフリをしてしまう気持ちはわかるんです。


不思議なもので、そこでそのベビーカーを押した人が恐縮してると、こっちも優しい気分になれたりするんですね。

乗れない程じゃないけどそこそこ混んでるエレベーターにベビーカーを押したお母さんが乗ってきた。そこで
「すいません、お邪魔でしょうけど・・」
みたいな空気を感じると
「いえいえとんでもない。仕方ないですよねー」
と率先して隅によってスペースを空けてあげたくなる。

でも逆に
「こっちは赤ちゃん連れてるのよ。しょうがないじゃない、ちょっとは気を使ってよね」
みたいな印象を受けると、
「仕方ないけどさー邪魔なものは邪魔だなー。さっさと降りないかなー」
という気分になってしまったりするの。


相手がへりくだってる時だけ優しい気持ちになれるって言うと、なんかすごく心が狭いというか、人として器が小さいな〜って自分でも思うんだけど。思うからこそ、できるだけそういう大変そうな人達には優しくしたいと思うんだけど。

反射的に思ってしまう心の中はどうしようもないわけで。



育児中の人が一方的に『迷惑を掛けて申し訳ない』と思う必要はない。それは確かに私もそう思います。でも、実際には
「仕方ないじゃない。赤ちゃんってそういうものなのよ。アンタだって昔はそうだったんでしょ?自分は子供の頃誰にも迷惑掛けなかったっていうの?こっちはその大変な“赤ちゃん”っていう存在と四六時中一緒で頑張ってんのよ。ちょっとぐらい外で居合わせた時にうるさくて迷惑かけたからっていいじゃないのよ。それぐらい我慢してよ。こっちの方が大変なのよ」
と思ってたとしても(私ならそのぐらい考えそう)、とりあえず表面上だけでも
「すいません、ご迷惑でしょ?」
という顔をする事で多めに見てもらえるなら・・・・そのぐらいの『申し訳ない』フリぐらいいくらでもしてやろうと思うのです。

謝る必要のない事でも、謝っておけば円滑に事が進む。それって、社会で働いた経験がある人なら誰でも一度は経験してる状況なんじゃないかと思うの。

こっちは悪くない。でも、すまなそうにしてれば、無意味な反感を煽ったり実際以上に迷惑に思われる事を防げる・・・と思えば、それも有益なんじゃないかと。


上記5つの最後のブログの

>親の役目だから、謝ります。でも、子どもには危害を加えないでください。
>謝りますからお願いします。

という一文に思わず胸が詰まった私は思ったのです。


 < 過去  INDEX  未来 >


咲良 [MAIL]

My追加