2006年01月03日(火) |
明日からもう仕事なんて・・・。 |
今朝、起きる直前になぜか『KAT−TUNのメンバーと遊園地に行ったんだけど、途中で休憩スペースに行ったら先にそこでジュースなど飲んでた高校生ぐらいの女子達が当然大騒ぎ。どうしよう、ここに私も入って行っちゃっていいのかな・・・と入り口でためらっていたら赤西君に当然のように“おいでおいで”と手招きされ、覚悟を決めて入っていったらなぜか赤西君と亀梨君の間の席を空けてくれたのでそこに座ったらさっきまで大騒ぎしてた女子達が静まり返り、“なんでKAT−TUNがここにいるの?っていうかあの女ダレ?なんかテレビの撮影?”と思われているのが丸判りな雰囲気になってしまい、うわーどうしよう、気まずいなー・・・・と困っているところで目が覚めた』という不思議な夢を見た咲良です。みなさん、お正月休みは満喫しましたか?
て言うか、私KAT−TUNのメンバーって赤西君と亀梨君の2人しか顔と名前が一致してません。テレビで見れば 「あ、この子もなんか見た事あるな」 って判るぐらいで、しかも実はメンバーが何人なのかもよく判らない・・・・夢に出てきたKAT−TUNは5人だったんですけど、合ってますか?
何がわからないって、そもそも何故彼らが夢に出てきたのかってとこですが(苦笑)
さて。昨日はなかなかハイな1日でしたよ。
まず、昼間は次郎君の実家へ。親戚が来るのでそこに顔を出したわけですが、なんつーか、次郎君の親戚って賑やかでハイテンションな人が多いんですよね〜。血なのかしら。今回初めて会った叔父さんがいたのですが、この方が・・・・・今年61歳との事でしたが、その年齢で大卒は別に珍しくもないかなぁ。でも、だからこそ、なのかしら。とっても判りやすく『学歴至上主義』の方でした。
県内ではトップクラスの県立高校の出身で、本当なら九州大学でも熊本大学でも行けたぐらいの成績だったんだけど、なんだかんだあった結果 「名前さえ書けば入れるようなしょうべん大学に行っちゃってね」 と仰ったんですよ。
しょうべんって・・・・普通に『小便』と変換していいのだろうか。具体的に大学名を出したくないのかもしれないけど、仮にも自分の母校を“小便大学”って言うのは言葉が汚いなぁ・・・と心の中でこっそり思っていたら、次郎君が苦笑しながら一言。 「おっちゃん、そう言わないでよ。うちの奥さん、おっちゃんの後輩なんだから」
・・・・・なんですと?今言ってたのは、私も通ったあの大学の事なんですか。
「いやぁ、咲良ちゃんが行った頃は違ったのかもしれないけど、私達が行ってた頃は本当にしょうべんみたいな大学だったんだから」 なんて言ってごまかしてましたが、うーん。
そういえば、私が大学に合格した時に、父方の叔父さんに同じような事を言われたんだよねぇ。
私はその場にいなかったんだけど、お母さんが後でかなり不機嫌になってました。叔父さんは私が行く事になった大学名を聞いて 「なーんだい。○○大学なんて入試で名前さえ書けば入れるような所じゃないか。女の子なのにそんな4年制大学なんて行ってどうするんだ」 と言ったのだそうです。
それに対するうちのお母さんの意見。 「何よ、自分とこの娘がそれこそ誰でも行けるような短大しか受からなかったからってそんな言い方する事ないじゃないねぇ?叔父ちゃんが知ってる頃とは違うのよ!って言ってやりたかったけど、言っちゃうと娘自慢してるみたいで叔父ちゃんが不機嫌になるかなと思って言わなかったわ」
・・・・・・・・・まぁ一応弁解と言うか、なんか悔しいので説明しますが、私の母校である大学は、ちょうど私達が入学する年に名称が変わって、学部も増えたんですよ。で、私が行ったのはその新設学部で、新設でもの珍しかったせいもあったかもしれないけど初年度の倍率は12.6倍でした。実際は国立の滑り止めとして受けた人もいるだろうから定員以上の合格者を出したはずなんだけど、それでも倍率は7〜8倍だったと言われてます。(入学後に先生から聞いた話だから多分本当)
「名前さえ書けば入れる」 とか 「入学金さえ払えれば誰でも入れる」 なんて言われるようなレベルではなかったと思うし、受験の時にはそれなりに頑張った記憶もあるので・・・・・そういう言い方をされるとやはりいい気はしませんねぇ。
でもうちの親戚の発言に関しては、お母さんの言った事も当たらずといえども遠からず、という感じで。父方の親戚には、上は私の10コ以上年上から下は妹の年まで、結構年がばらけて8人いるんですが、その中で4年制の大学に行ったのは私だけなんです。
ついでに言うなら、母方の親戚でも四大に行ったのは私とみなとと、みなとの弟の3人だけ。短大とか専門学校に行ったイトコは他にもいますけどね。(私の妹も短大だ)
・・・・・・・なんつーか少子化と言われて定員割れして倒産する大学も出てきて、受験者全入学時代なんて言われてても、ちょっと田舎に行けばまだまだこういう発想が残ってるんだよねぇ。 『女の子なんてどうせ結婚して子供産んだら家に入るのに、わざわざ4年制大学にって何するんだ』 って。
あ、ちょっと話が逸れた。
まぁそんな叔父さんのアルコール入りのテンションに付き合う事2時間。ようやくその叔父さんが寝てくれて、しばらくはお義母さんやお義姉さんもふくめて女性ばっかりでまったりおしゃべり。(男性陣は寝てるか箱根駅伝見てました)夕方になって叔父さん&叔母さん達は帰り、義両親、お義兄さん夫婦とうちら2人の計6人だけで一息。義妹さんが旦那さんの実家に行ってた息子達を連れて帰ってきて、その2人にお年玉をあげたところでようやくうちらも帰宅しました。
そして約1時間後、私の友人達が到着。ミヅキとその旦那さんのショージさん(+子供2人)、カツミとその旦那さんのキュウさん、唯一独身のマキ。お盆にも集まったメンバーで新年会です。
友達が来ると言ったらお義母さんが手作りの料理の残りを持たせてくれたんですが、これがまたおいしいんですよ。煮物とか南蛮漬けとかお義母さんいわく『誰でもできる田舎料理』なんですが、里芋の煮しめも黒豆の煮たのも小エビの素揚げも、妙においしいの。ミヅキ達も絶賛。
ミヅキんとこのチビ1号(5歳半)が次郎君と一緒に桃鉄をやるのを楽しみにしてたそうで(笑)マキと3人でマジ対決。実際はチビ1号の分も次郎君がやってるようなものなんですが、1号大喜び。
11時半を過ぎた辺りで、マキが 「お母さんが具合悪いんだけど、今日家に1人でちょっと不安がってるみたいだから」 と先に帰り、残ったメンバーはまだまだしゃべり倒す。特にカツミが・・・・・1人だけ、県外に嫁いでるんですよ。キュウさんは家業を継いでいて、カツミもその会社で経理関係をちょっと手伝ったりしてるんですが、基本的には専業主婦みたいなもの。それも本人の意思というより 「お嫁さんには家にいてキュウが帰ってくるのを待っててあげて欲しいの。キュウのお給料だけじゃ生活が厳しいんだったら実家から援助するから、お願いだからカツミさんは家にいてあげて」 という専業主婦暦30年のお姑さんの強固な意見によりそうせざるを得ない状況で。
身内以外に知り合いもほとんどいない状態で、かなり個性的なお姑さんにお舅さん、比較的マトモな義弟と、お姑さん以上に理解不能なその奥さんとうまくやっていくのにかなり神経を消耗するらしく、たまに里帰りして会うともうほとんど独壇場とばかりにしゃべりまくるんですね(苦笑)次郎君に言わせると 「マシンガンを5丁ぐらいいっぺんに打ちまくってるような感じ」 ・・・・言いえて妙。←否定はしない。
結局全員が帰ったのは・・・・2時半ぐらいだったかなぁ。カツミが後片付けをほとんどやって帰ってくれたので助かりました。私は 「適当にやっといてくれれば明日私がやるからー」 と言ったのですが、A型のカツミはその『適当に』がダメ(笑)残った料理はお節が入ってた重箱に詰めてしまい、使った皿やお義母さんが持たせてくれた料理が入ってたタッパ類も全部洗い揚げ、ゴミは1つの袋にまとめてゴミ箱へ。最後まで使ってたグラス類も洗って帰りたそうだったけど、食器乾燥機が満杯だったので 「いや、それぐらいは私が明日やるから」 となだめて帰しました(苦笑)
最終的に私達が寝たのは3時過ぎ。おかげで今朝起きたらもう12時をまわろうかという時間でした・・・・それは既に『今朝』ではない。
今日は次郎君と2人でまったりダラダラ。昨日の残りの料理とレトルトカレーで昼食を済ませ、昨日録画してた『里見八犬伝』を一緒に見る。それから私は昨日のグラス類もまとめて洗い、その間次郎君はコタツでテレビを見てまたまったり。夜も、簡単に牛とじ丼と豆腐とわかめのお吸い物で済ませました。
・・・・・・本当は夜もあんまり作りたくなかったんだけどね。三箇日ぐらいは徹底的にサボりたかった・・・・おせち料理って本来はそのための物なんだよね、確か。三箇日ぐらいは主婦を休ませるために、日持ちする縁起のいい料理を重箱いっぱいに作る。でもまぁ私は普段から結構さぼってるので(笑)2.5日休ませてもらったら充分か(^^;
今日の『里見八犬伝』も録画して、裏の『古畑任三郎』を見る。次郎君は途中で寝ちゃいました。
はぁ、明日からまた仕事だ・・・。がんばろう。うん。
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