2005年12月29日(木) |
今年最大のニュース発表 |
「続きは明日!」とか書いておきながら、さらっと日付が1日飛んでますがそこはスルーでお願いします。
さてさて。いよいよ咲良の今年の五大ニュース、第1位の発表です。
じゃかじゃん♪
1位。 ・妊娠しました。
マジっす。いやぁビックリしました。まぁ別に避妊してなかったんでいつできてもおかしくない状況ではあったんですが、実際にできるとビックリするもんですね。
でね、実はこの妊娠がわかったのって10月初旬なんですよ。
それがなんでこの時期まで日記に書かなかったかというと・・・・まぁつまりはいろいろと不安があったわけです。せっかくなので、その辺りの経過を時系列に沿って書き残しておこうと思います。
事の起こりは9月末。この日、私は市販の妊娠検査薬を試しました。と言うのも、8月9月と続けてなんか生理がおかしかったんです。1日の量がすっごく少なくて、そのうえ3日ぐらいで終わってしまう。そんな生理が2回続いて、さすがにちょっと不安になりました。
9月の新婚旅行が終わるまでは妊娠したくない!(→妊娠初期に旅行なんて事になったら心置きなく楽しめないから)と言い張る私の意見を頭から無視して、次郎君は夏ぐらいからまったく避妊してくれなくなったんですよ(笑)
最初のうちは私もHで中出しされる度にちょっと文句を言ったりもしてたんですが、段々めんどくさくなってきちゃって。次郎君が自分の年齢的に子供をちょっと焦ってることは判ってたし、そこであんまり頑固に拒絶しちゃってケンカになってもイヤだなぁとも思ったし。排卵日に中出ししても受精・着床する確率は20%と聞いたことがあったので、そんなにすぐにできないだろうとも思ったしね。
で、まぁ妊娠の兆候もなく旅行も楽しく終わり、そこで一応覚悟を決めました。私だって、どうしても欲しくないってわけじゃない。次郎君がこんなに子供を望んでるんだから、出来たらその時はその時だと思って運を天に任せよう。そう思って、一切避妊に関しては言うのをやめました。
でも、さっきも書いたような『なんか変じゃない?』という生理が2回続いた事もあり、もしかしてあれは生理じゃなくて着床出血だったのかも・・・と思い市販の検査薬を試したけど結果は陰性。でも、妊娠してないならしてないで、 「じゃぁあれは本当に“生理がヘン”だったわけよね」 と心配になり、病院に行く事にしました。
ところが。
10月3日。内診を終えて先生と向かい合った私に告げられた衝撃の事実(笑) 「あなた、多分妊娠してますよ」
・・・・・・・・・・・・・はい?
「え、でもこないだ検査薬試したら陰性だったんですけど」 「でもね、これ」 と言って見せられたのは一番小さいサイズの付箋ぐらいの大きさの白い紙。端の方になにやら緑色の文字が書かれていて、どうやらそれは病院で使う検査紙であるらしい。そしてその一部に、うっすらとだけど紫色っぽいラインが出ている。
「ここに、薄いけど陽性の印が出てるんですよ。多分その市販の検査薬をしてみた時は、時期が早すぎて反応が出なかっただけでしょう。今、多分まだ2週ぐらいだと思います」 2週目!?・・・・あ、でも9月の生理が終わってからそろそろ4週間だから、前回の生理終了から2週間後に排卵があってその時に当たったと考えれば計算は合う。
・・・・・・・・・・・・・・・マジっすか。
「まぁまだ週が早すぎて何も言えないので、10日以上経ってからもう1度来て下さい。4週目になってればまたわかると思いますから」 とその日は帰されました。
さてどうしよう?と思ったものの、この時点では次郎君に話しませんでした。だってまだ早すぎるだろう、いくらなんでも。
次の診察は10月14日。超音波写真を見せられました。 「これが赤ちゃんが入ってる袋です。胎嚢と言います。この小さな点が胎児ですね。まだ小さすぎてわからないと思いますけど・・・・まぁ妊娠してるのは間違いないですよ」 うわ、本当だ。 「そうですね〜また2週間後に来て下さい。6週目になってれば、胎児も見えるでしょうから。写真はそれからあげましょうね」 と言われ、29日に次の診察の予約をして帰りました。
ところが、それから1週間後に事態は急転。
22日(土)の朝、仕事が休みの私はいつものように10時ぐらいに起きました。起きたらまずトイレへ。そして驚愕。
・・・・・・・・・出血してる。
一瞬、生理が始まったのかと思いました。妊娠っていうのはやっぱり間違いで、生理が来ちゃったのかな。でもそんなはずはない。先週、先生があんなにきっぱりと『妊娠してますよ』って断言したんだから。
どうしよう?これってほっといていいんだろうか?1〜2日ぐらい様子を見てみようかな。でもなんか急を要する事態だったらどうしよう?しばらく悩んだ挙句、病院に電話してみました。その日は休診日だったのですが、病棟の看護師さんに状況を話したら 「じゃぁとりあえず来て下さい」 と言ってくれたので、それから急いで支度して病院へ。少し待たされた後先生の診察。超音波での内診をして、先生と向かい合って座りました。
告げられたのは 「胎児が見えない」 という事でした。 「5週目になってるから胎児がもう見えててもいい頃なんだけど、確認できない。出血の原因もわからないし、もう1週間待って、それでも胎児が確認できなかったら今回は諦めるしかないですね」
意味がわかりませんでした。胎児が育ってない?
先生の話だと、確率的にいえば、すべての妊娠の15%は流産してしまうのだそうです。それはほとんどが妊娠8週以内に起こり、その大半は母体ではなく胎児に原因がある、と。染色体異常だったり奇形だったり、とにかく胎児自体に生き残る力がなくて淘汰されてしまうのだと。だからもしダメになっても、あなたが責任を感じる事ではないと。
説明を聞きながら泣き出した私に、 「まだダメだと決まったわけじゃないですから。来週また診察して、その時にちゃんと胎児が確認できればいいんです。まだ泣く時じゃないですよ」 と言ってくれました。
とにかく、今はいわゆる『切迫流産』(流産しかけている状態)なので、出血が止まるまで自宅療養する事。もちろん仕事は休む事。次は28日に診察に来る事が決まりました。
帰りの車でも涙が止まりませんでした。考えていたのは、次郎君にどう話そうかという事です。帰宅し、言われた通りすぐパジャマに着替えてベッドにもぐり込みましたが、眠れるわけもなく。いろいろな事を考えては泣き、泣き疲れて少し眠り、目が覚めてはまた泣く。その繰り返し。
私のせいだ、と思いました。実を言うと、最初に妊娠がわかった時、私は本当は嬉しくなかったのです。
出来たらその時はその時だ、なんて言ってはいましたが、正直なところ 「まだ後半年ぐらいはいいよねー。結婚から1年経った頃に妊娠発覚!ってのぐらいでちょうどいいんだけどな〜」 と思っていて。だから 「うわ〜ついにできちゃったよ〜」 という感じで、嬉しいというよりは、戸惑いの気持ちが強かった。しかも、10月の日記を見てもらえば判る事ですが、妊娠が正式に告げられた10月14日の翌日、私はウツのライブのために福岡に行ってるのです。自分で車を運転して行き、あまつさえ開演に遅刻した私は、駐車場から会場まで走りさえしました。
妊娠した事を喜べなかったから、妊娠してると判っていながら長距離の運転や走ったりなんて無茶な事をしたから、だからダメになっちゃったんだ。こんな母親の所には安心して産まれてくる事なんてできないと、赤ちゃんに見限られちゃったんだ。
そう考えて、頭が痛くなるほど泣きました。そして、泣いてる自分に驚きました。
だって、私は妊娠した事をたいして喜んでなんかいなかったのに。なのに、いざ流産するかもと言われたら自分でも気付かないうちに号泣してしまっている。
こんなに悲しいとは思わなかった。ごめんなさい。もう二度と「できちゃった」なんて思いません。だからお願い、まだいなくならないで。
祈るようにそう思いながら、泣きながらうとうとしているうちに夕方になりました。
次郎君が、帰ってきました。
私が寝てたので具合が悪いのかと心配してくれた次郎君に、泣きながら事情を説明しました。すると意外にも落ち着いた声で 「でもまだダメって決まったわけじゃないんだろ?大丈夫かもしれないんだろ?だったらそんなに泣くなよ。・・・・・・それに、最その子がダメになったとしても、お前が元気でさえいればまた次を望む事もできるんだから・・・・な?」 と言いました。
なんだか意外でした。別に子供が欲しいなんて思ってなかった私がこんなに悲しんでいるのに、私なんかよりずっと強く子供を望んでいた次郎君がそんなに平気そうにしてる事が。これが、実際に体内に命を宿してる女性と、そうじゃない男性の違いなんだろうか?
結局次の週はまるまる会社を休みました。もちろん、事情を話さずにそんなまとまった休暇を突然もらう事はできませんから、直属の上司にだけは電話で事情を説明しました。毎日何もせずに、ただトイレに行くたびに出血が止まってない事を確認してはため息をつく日々。
1週間後、病院へ行きました。私は、なぜかその時はもう完全に諦めていました。子宮内で死んでしまってるのだとしたら、手術で掻き出す事になるのだろうか。その時は入院?いや、そもそも先週の時点では『育ってない』と言われた。じゃぁ受精卵はこの1週間の出血と一緒に排出されてしまったのだろうか?そんな事ばかり考えながら内診台に乗りました。
ところが。
腰の辺りにかけられたカーテンの向こうで、先生が 「あ」 と言ったのです。
「見えますよ、赤ちゃん」
「・・・・・・え?」 「胎児がちゃんと確認できますねぇ。ちょっと小さいですけど・・・うん、ちゃんと育ってるみたいですよ」
思っても見ない結果が出たのです。安心したらまた泣けてきました。
ただ、育ってはいるが標準と比べたら若干胎児が小さい事、そして相変わらず出血の原因が判らない事から、 「また1週間後に診察に来て下さい。1週間おきに2回ぐらい診察して、それで胎児が小さいなりにちゃんと育っているようなら問題ないと言っていいと思います。今の時点では、70〜80%の確率で大丈夫だろうとしか言えませんよ」 と告げられ、それでもとりあえず仕事に復帰しても構わないと許可をもらえました。
病院を出たらまず次郎君に電話をしました。仕事中だったのでとりあえず大丈夫だった事だけ伝え、夜になって帰宅した次郎君にさらに詳しく話して、また泣きました。
翌週から仕事にも復帰し、用心に用心を重ねながら1週間を過ごし、次の診察は11月5日でした。その時に 「うん、小さいなりにちゃんと育ってますね。多分大丈夫でしょう・・・・・・おめでとうございます」 初めて、先生が『おめでとうございます』と言ってくれました。
その頃から、徐々につわりが始まりました。しかも、普通は『食べ物の匂いが気持ち悪い、食べられない』というのがつわりの症状なのですが、私はどちらかというと少数派の『食べつわり』でした。お腹が空くと気持ち悪くなるのです。でもお腹が空いてて胃は空っぽだから、実際に吐くことはできない。でも吐き気が治まらない。だからと言ってお腹いっぱい食べてしまっても気持ち悪いのです。
職場の上司にも詳しく説明し、ずいぶんと気を使ってもらいました。勤務中でも、体が辛いと感じたら上司に断って休憩室で横になります。ほんのちょっと休憩するだけのつもりが、熟睡してしまって目が覚めたら2時間経ってた、なんて事もしょっちゅうでした。そうやって順調に2週間ほど経ったある日、朝起きたらまた出血していたのです。
次郎君にもすぐ話し、会社に電話を入れて午前半休をお願いし、そのまま病院に連絡を入れてすぐ向かいました。結果、またもや原因は不明。再び、『出血が止まるまで自宅療養』を言い渡され、会社には電話で事情を話しそのまま帰宅。
この頃が、一番つわりがきつかったように思います。お腹が空くと気持ち悪い。でも食べても気持ち悪い。料理を作るどころじゃありません。よく聞くような『ご飯が炊ける匂いがダメ』というのはなかったのですが、食べたい物がピンポイントで日替わりなのです。カレーうどんが食べたい。お味噌汁かけご飯が食べたい。卵サンドが食べたい。毎日食べたい物が変わり、しかも思いついたらそれ以外は食べたくないのです。自分で作る気力がない時は次郎君に仕事帰りに買ってきてもらう。
日によって体調がまるで違うので、次郎君も大変だったと思います。比較的元気にご飯とおかずを作れる日もあれば、食べても10分もしないうちに全部吐いてしまうような日もありました。毎日、仕事から帰る時に 「今日は何か買ってきて欲しいものある」 と電話をくれて、もともと決してマメではなかった家事が更に手抜きになっても文句も言わずにいてくれた次郎君には感謝してます。
困った事に、私は12月4日に高校時代からの親友トモエの結婚式を控えていました。もちろん出席の返事をしてあったし、スピーチも頼まれてたのです。病院の先生にも話したところ、 「・・・・とりあえず出血が止まらない事にはなんとも判断できませんね。日が近くなってから、状況を見て決めましょう」 という返事。ダメとは言われなかったのでちょっと安心していたら、母親と妹にものすごい剣幕で反対されました。
ギリギリまで様子を見たものの、結局式の4日前の時点で出血が止まらなかったためけ欠席せざるを得ませんでした。直前になっての欠席だったためトモエには本当に迷惑をかけました。申し訳ないし、私としても、大事な親友の一生に一度の晴れ姿を拝めなかったのは本当に心残りです。
結局、11月下旬から12月上旬まで、実に半月以上にわたって仕事を休む事になり、会社にもずいぶんと迷惑をかけてしまいました。私の業務を上司が代行することが出来ず、結局本社から泊りがけで応援の出張に来てもらう事になってしまった事については、先日の日記にも書いたとおりです。
つわりの方は、不思議なもので12月に入った辺りですっとラクになりました。12〜3週辺りでラクになる人が多い・・・とは聞いていたのですが、まさしくそのタイミング。お腹が空いた時のあの不快な吐き気がまず減りました。気持ち悪くなる事はありますが、実際に吐き気を伴う事がぐっと減ったのです。今では、極端にお腹が空き過ぎた時や調子に乗って満腹になるまで食べてしまった時、そして暖かい部屋から急に寒い所に出た時にちょっとぐっとこみ上げてくるぐらいで、日常的に吐き気が治まらないという事はほとんどなくなっています。
今、妊娠16週ぐらいです。一般に安定期に入るのは20週からと言いますから、まだまだ安心は出来ません。本当は、日記に公表するのは安定期に入ってからにしようと思っていました。でも“22週で死産した”なんて話もありますので、例え安定期に入っても100%大丈夫というわけではないのです。
制服のスカートやジーンズのウェストが止まらなくなりました。時々、寒い所で下腹が張るような感じがする事もあります。鏡で見て、わずかですがお腹が膨らんでいるのがわかるようになりました。今のところ、着実に赤ちゃんは育ってくれてるようです。
正直、今でも『もうちょっと先でも良かったんだけどね〜』と思う事はあります。育児の大変さを想像しただけで面倒な気持ちになる事もあります。
でも、最初に『ダメかもしれない』と言われた時の様なあんな悲しい思いはもうしたくありません。だから、『できちゃった』のではなくて『授かった』のだと思って、毎日気をつけて過ごしたいと思っています。特別子供好きだったわけじゃない・・・というよりも、正直『子供は苦手』と思っていた私にとって、 「私でも母性本能なるものがあったんだなぁ」 と驚くような気持ちもありますが(苦笑)
というわけで、咲良の今年のトップニュースは『妊娠した』でした。来年は『無事出産した』という報告が出来るよう、頑張りたいと思います。
それでは、少々早いですが、皆様、今年も1年間お付き合いいただいてありがとうございました。よいお年をお迎えください。
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