金色の夢を、ずっと見てる

2005年02月22日(火) 音楽の先生って共通して苦手だ、そういえば。

小学校の頃、音楽の授業で自主発表のコーナーがあった。内容はなんでもいい。人数も何人でもいい。1人で歌うも良し、友達と2〜3人でハモるも良し、1人がピアノを弾いて1人が歌うも良し、数人で楽器を手分けして何かを演奏するも良し・・・・・・とにかく、何か音楽を発表するコーナー。おそらく音楽の先生は、この企画を通して生徒の自主性や企画力を高める目論見だったのだろう。


しかもこれ、壁に貼られた名簿に出演回数の分だけシールが貼られて、それが成績に影響するのだ。


で、ここでもう1度最初の1文を見てほしい。
『自主発表のコーナー』
そう、自主的に出るコーナーだ。
となると、当然の事ながら『出る人は何回でも出るが、出ない人はさっぱり出ない』という状況が発生する。それはもともと引っ込み思案で積極的に人前に出るなんてできない〜という理由であったり、一緒に出るような友達がいない・・というちょっと切ない理由であったりはまぁ人それぞれなんだけど。

ところが、前述したようにこれは成績に影響する。そうなると、いくら引っ込み思案だからって1回も出てないのはさすがにマズイ。

そこで、先生は荒技に出る。すなわち、自主的に出るのが前提であるこのコーナーなのに
「来週は○○さん出てね」
と指名をするのだ。



ちなみに私は
“指名されたときだけ仕方ないから出る”
というタイプだった。あと、誰か友達に誘われたら出る。別に引っ込み思案でも友達がいないわけでもなかったけど、ただ単に『自分から前に出る』のが好きじゃなかっただけだ。

歌うのは好きだし、楽器は下手だけど嫌いじゃなかった。ただ、だからと言って積極的に人前で披露するほどうまいわけでもないのに、半強制的にそれをさせられるのがとても苦痛だった。しかも先生が指示するのは『出る』事だけで、『出て何をするのか』は自分で考えなきゃいけなかったのだ。出たくて出るわけでもないのに、なんでこんな事考えなきゃいけないんだろう・・・・と本当にイヤだった。

自主性を育てるのはとても大事な事だと思うんだけど、向き不向きってものはある。現に私は、音楽の授業でそうやって歌わされたりするのは嫌いだったけど、国語の授業で教科書を読まされるのは好きだった。



なんで急にこんな事思い出したのかな〜。


披露宴のカラオケの件で揉めたせいかな。


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咲良 [MAIL]

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