2002年09月15日(日) |
ビバ! 元気なジジババ♪ |
今日は敬老の日という事で、
私のひぃお祖母さんの話を。
私が子供の頃、母方のひぃお祖母さんがまだ二人とも健在だった。
母の母の母と、母の父の母だ。(ややこしいのぅ・・・)
しかも、母の母は一人っ子だったので、
ひぃお祖母さん二人は 同じ家の中に住んでいた。
お祖父さんのお母さんの方が 「隠居さん」。
お祖母さんのお母さんの方は 「てんばあさん」。
と呼ばれていた。
「てんばあさん」とは、天王寺のお祖母さんということで、
元々天王寺に住んでいたからだ。
二人とも、私が物心がつく頃にはもう、すごいシワシワのお婆さんだった。
隠居さんはいつも、二方に回り廊下のある角部屋の
広くて明るい8畳間に、万年床を敷いて、
寝たり起きたりしながら、
女中さんに ご飯もそこに運んで貰って食べるという
上げ膳据え膳のけっこうな暮らしだった。
私が遊びに行くと、
そのお布団の中に入り込んで 桃太郎や浦島太郎などの
昔話をしてもらったり、折り紙でいろんな物を折って貰った。
兄が一緒の時はよく、3人で花札をして遊んだ。
隠居さんは、耳が遠かったので、いつも耳元で大きな声で
話さないといけなかった。
てんばあさんは、老人性の白内障で ぼんやりとしか見えていなかったが
それでも 健康のために、簡単な掃除や洗濯物を畳んで仕舞っていた。
一人でお泊りする時は、てんばあさんの6畳の部屋で一緒に寝た。
高校3年のある晩、隠居さんが亡くなってお葬式に行く夢を見た。
それから3日程して、隠居さんは 自室で眠ったまま亡くなった。
100歳で、老衰だった。
てんばあさんは、最後の方は呆けてしまって、
昼と夜の区別がつかなくなり、老人病院で亡くなった。
やっぱり100歳だった。
その時、長女が生まれて3ヶ月くらいだったかな?
てんばあさんからすると ひぃひ孫?やしゃ孫っていうのかな?
呆けてしまっていたので、見せてあげられなくて残念だった。
私が高校生までは、父方の祖父母、母方の祖父母、母方の曾祖母と
年寄りが6人もいたので、敬老の日といえば
両親に連れられて あちこちの家を回るのに忙しかった。
その代わり、お正月にはたくさんお年玉が集まって良かったけど。(笑)
子供達が小さい頃は、幼稚園とかで敬老の日の行事があったので
よくこっちに来てもらっていたものだが、
3年位前、ちょっと用事で実家へ行った時に、たまたま敬老の日だったので、
父の好きな 菊屋の和菓子を買って持って行ったのに、
「年寄り扱いされた!」 と逆に不機嫌になったので、
何もしないようにしている。
普通は お祝いしてもらって嬉しいものなんだろうか?
両親も義母もどちらも 現役でバリバリ仕事をしているからかな?
普通、あの年になったら楽隠居して 暇に優雅に暮らしている方も多いから、
たまに孫達が遊びに来れば喜ばれるのかな?
長女はごく最近まで、どこの家のお祖母ちゃんも仕事をやっているものだと
思い込んでいたらしいから、うちは普通とは違うのかもね?
・・・だって、未だに一緒の旅行とか外食は 全部ゴチになってる。汗!
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