まつや清の日記

2005年05月08日(日) 尼崎脱線事故の本質

 JR西日本の経営者、労働組合、働いている人たちに対して、事故原因の追求と共にさまざまな形で批判と非難が始まっています。記者会見の場での記者の方による「人が死んでいるんだ」という罵声場面の報道もなされています。当然の怒りであり、マスコミ記者として被害者や世論を代弁することは社会的使命です。

 事故がおきたあとで、労働組合が「日勤教育による自殺者」を語りはじめ、いかに経営者がひどいかを語ってくれました。そうだ、職場でこの効率優先の経営を批判してくれている労働組合があったんだ、救われた思いでした。ところが、今度は、その組合員を含めて、ボーリング、宴会、政治家を含めた酒宴報道、エー、なんだそれ、みたいな実態が暴露され始めています。

 陰鬱な気分になります。しかし、マスコミも含めて私たち自身が、この状態をどの視点で語り始めようとするのか。あまりの大惨事です。このJR日本を「たたく」のはある意味でわかりやすい構図ですが、マスコミの皆さんは、それだけでいいのか、この問題の本質は何であるのか、この材料を提供してもらいたいわけです。当然、そのことを問題にする時、政治の中にいる自分自身のあり方への根本的な絶えずの問い返しが前提になります。

 日曜日のサンデーモーニング、関口宏さんキャスターで好きな番組です。今日は、この事故に対するゲストの言葉が記憶に残りました。浅井信雄さんの「あの過密ダイヤは、過密都市、周辺から一刻早く職場につきたいという人々のために作られている。スローフード、スローライフという言葉があるが、過密都市というあり方自身が問われている」、金子勝さんの「今の社会全体が、尼崎の脱線事故のような暴走する電車と同じ。効率、競争。正規職員と非正規職員。この社会はもたないと思う」。(という趣旨だったと思います)

 この事故の問いかけるもの、じっくりと自分にぶつけてみる必要があることを感じています。

 


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K.matsuya

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