2004年02月29日(日) |
小学生が防犯ベルを持つ時代 |
明日は、息子の卒業式。 残念ながら、議会開催日で出席できません。
ただ、小学校や中学校の時と違って高校生ともなると卒業の感激が薄くなってくるのも事実で、子どもたちが親離れしていくことと重なっています。
今、子どもたち自身、そして彼らをとりまく環境も大きく変わってきています。
静岡大学の人文学部の国語の試験問題で、宮台真司さんの「『郊外化』と『近代の成熟』」ー『岩波講座現代社会学10』からの文が使われていました。子どもたちの仲間意識が「「容易に腹の割れる」関係というより、むしろ「臆病にノリの同じさを壊さないよう心がける」関係に変わった。」という箇所が問題となっていて「このような関係は何が失われたため生じたのか」とありました。
この宮台さんの指摘は実感します。 私は、今の若者の個人主義の過剰、私たち世代の個人主義の未成熟という観点で世代間の違いを説明することが多いのですが、今の若者は、ホントにケンカすることを極端に避ける傾向があります。彼らとどうやって距離をとりながら本音を聞き出せるのか、考え込んでしまうことがあります。
ところで、今、小学生が、防犯ベルを持たせられていることをご存知でしょうか。長崎県の幼児殺害事件を含め犯罪から自分を守るために。学校に不審者が来るかもしれないと学校の門を閉鎖される、教員は名札をつけて内部の人間とわかるようにする、全てが安全な学校環境を社会環境をと行われているのです。
こうした子どもたちが、どうやって仲間意識を作り出していくのか、想像もつかないくらいにおかしな社会環境です。ホントに現在の社会環境を作っている大人として世代責任を感じずにおれません。
こうした中での県議会に提案されている「防犯まちづくり条例」、その意味をどう評価するか、大いに考えさせられます。
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