Out of the blue
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2002年09月11日(水) セプテンバーイレブンと嫌な思い出と

オペMファイナルミッション関連のタグ打ちなんぞをやりつつ
本日は9月11日という事で地上波でもCSでも特番が組まれておりました。
事件当日のWTCビルの内部映像があるというので
日テレを見ていたんですが…いやいや。
降り注ぐ灰と瓦礫の中文字通り埋もれながら録りつづけた
その映像もかなり衝撃的だったのですが
(さっきまで側にいた人が5分後にはこときれている、とか…)
間を置いて何度も聞こえてきた
「ひとつ聞こえる度にひとつの命が失われる音」には心底…参りました。

番組が始まる前は、映像が非常に衝撃的なので1年間公開を自粛していた、
なーんて単に数字稼ぎの為の謳い文句じゃねーの?
とか思っていたんですが…

消防士の方々が、戦争帰りの兵士達のようになってたのが印象的でした。


「悲劇的な事件」でどうしても忘れられないのが阪神淡路大震災。
その頃不肖ワタクシメはもう高校生、神奈川に移り住んで早●年という状況ではあったものの
関西出身者としてはあちらに知人友人はいる訳で。
ニュース、ラジオ、新聞、その他情報が手に入れられるものは全部
チェックして、どうかあの犠牲者のリストはもう増えないでくれ、
あの中に自分の知っているあの人達の名は上らないでくれと祈る…
そんな生活をしていた人は少なくないと思います。

そんな中、そんな事してどうするのバカみたいだの
偽善者ぽくてアタシは嫌いだのと、にちゃんねらでもなかなか言わんような
事をさんざん抜かしてくれたアマがいた事を思い出しました。
「アタシってクール★」とでも思ってやがったんでしょうかこいつ。
それとも友人や親戚の安否が気になって眠れない人達を
「自分の知り合いしか心配出来ないなんて器が小さいよね〜」
とでも言いたかったんですかねぇ…。
こういうバカが被災地に車で乗り付けてって記念写真撮ったりするんでしょうか…ああやだやだ。

ぶっちゃけかなり力入れてブッ叩いちまいましたよ。
後々面倒だから女は殴らんと決めてはいたんですけどね…耐えられませんでした。

色んな意味であまりよろしくない思い出が沸き出した本日。
とりあえずもう寝るとします…。



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