前潟都窪の日記

2006年02月16日(木) ペルーの旅11・・・サクサイワマン遺跡

2006年2月8日(水)
早速迎えのバスに乗ってインカ遺跡の観光である。
先ずサクサイワマン要塞跡を見学した。



↑ サクサイワマン遺跡前の物売り




↑ サクサイワマン要塞遺跡の全景、生憎光線の具合が悪く画面が暗い




↑サクサイワマン要塞遺跡に使われた石の中で最大のもの。一個128屯。



↑サクサイワマン要塞遺跡の門、9代皇帝イナズコ神殿の入り口




↑サクサイワマン要塞遺跡の巧みな石工技術




↑サクサイワマン要塞遺跡跡の集会所、催しごとが行われたり、兵の集合場所となった。この広場では毎年6月24日にインカ時代から続く太陽を祭るインティライミという儀式が古式に則り行われる。

インカ帝国は14世紀半ば頃初代皇帝マンコバックによってクスコの地に建設され、約100年間盛時には人口20万人を数える南米第一の都会であった。
1,531年スペインの略奪者フランシスコ・ピサロによって攻められ、約2年間戦ったが遂に1,533年軍門に下り、時のアタワルカ皇帝は処刑されてスペインの統治するところとなった。

しかし、1536年暮れにはインカ帝国の残党が別名鷹の巣城とも言われたこのサクサイワマン城砦を拠点としてスペイン軍を包囲し、反乱を起こしたという史実が残っている。この時の戦いはインカ軍3万人に対しスペイン軍400人であった。兵数において圧倒しながらも、馬と銃砲を持たず、夜襲という戦術さえも持たず、農夫兼兵士であったインカの反乱軍はスペイン軍の騎馬と銃砲の前にあえなく殲滅されてしまった。
その後も散発的に反乱は起こしたが1572年のビトコスの砦での反乱を最後に完全に鎮圧された。

またこのサクサイワマン城砦は9代皇帝イナズコが一日二万人の工夫を使って80年の歳月をかけて築城したと推定されており、巨大な石を三層からなるジグザグ構造に積み上げたところに特徴がある。ジグザグは22箇所にも及ぶ。


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