前潟都窪の日記

2005年02月13日(日) 密葬 連載の28

今岡福吉から今岡寿子の遺言書のコピーが郵送されてきた。

今岡寿子の遺言書

女学校を卒業したばかりで世の中の右も左も判らない二十才の若さで、あまりにも急なもので結婚式もして貰えず、無一文の今岡に柳行李一つで嫁いできました。以来五年間、共に力を合わせて配管請負業を営み、何とか生活も楽になった頃、今岡は応召、戦地にいきました。二才と四才の娘を抱え、生家が石材店なので、父や兄の好意で手慣れない石材の運搬などを手伝って手間賃を稼いだり、生活物資の転売、ミシンを踏んで稼ぎ、畑を買って農産物を自給し、人の恵みを受けることなく自力で立派に銃後を守りました。親兄弟といえども、物品、金銭など一品、一銭たりとも、決してただではいただきませんでした。

 終戦後約一年近くして、天運に恵まれ今岡が約4年の軍務を終え、復員してまいりました。今岡は私に輪をかけての努力家で、あくまでも自力本願、如何に困窮しても、精神的にはともかく、物質面においては一銭たりとも他人の恵みは受けません。独立独歩の精神に徹していたからです。復員直後は米を東京に運び、帰路は進駐軍物資の衣料などを田舎に運び、いわゆる闇屋をしたり、ぽんせんべい焼き、菓子問屋など、次から次と新しい仕事に励み、成果をあげました。世界大戦後の米ソの冷戦が始まり朝鮮戦争勃発、軍需基地となった日本の工業化が急速に発展、戦前より今岡が最も得意とする配管請け負い業が繁盛し、今岡建設株を創立,今日に至っております。今岡建設の創業は結婚後間もなくの昭和12年ですから今年で63年、共栄株は32年になります。男は仕事、女は内助の効、それにすべてをかけるのが人生の華であります。60年以上手塩にかけて生み育てた両社の今後益々の持続と繁栄を願うのは、人間最高の願望ではないかと信じます。

 子供3人に恵まれ、それぞれ世間一般に照らし、恥ずかしからぬ生活を営んでおります。親としては喜びであり、誇りでもあります。

 どうか今後ともおのれの分を知り、人の立場を理解し、公正な社会人として大小は別として人の師表になる、子孫の教材になるような生きかたをしてくれるよう望みます。それが人間の生きかたの幸福に繋がる最短ルートかと思います。

 私は私の死後も今岡家が安泰で、きょうだい仲良くして貰うことが最大の願いです。

 私の死後、無用の争いを避けるためにこの遺言公正証書を作りました。日本社会の上級知識人として、恥ずかしからぬを願います。

 遺言者は遺言者の所有する左記の財産を長男の福吉に全部を相続させます。

遺言者は第3条及び第4条に記載した財産を除く遺言者の有するその余の財産の全部を全記遺言者の長男今岡福吉、遺言者の長女児島稔子(昭和14年10月1日生まれ)及び遺言者の次女豊岡淑子(昭和16年10月4日生まれ)の3名に相続させ、今岡彰子(昭和23年1月1日生、前記遺言者の長男今岡福吉の妻)及び今岡○太郎(昭和47年10月23日生、前記遺言者の長男今岡福吉の長男)の両名に遺贈する。その割合は各五分の一とする。


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