勇が初めて海外へ旅したのは一九七六年アメリカ建国二百年祭の年であった。この時は、斉藤栄三郎先生を団長とする経済視察団に参加しての渡米であった。アメリカにおいて発展しつつあったコンビーニアンスストアの現況を視察し、経営理念を勉強してこれが日本の風土に根づくかどうかを研究するという狙いがあった。
当時日本の政権はロッキード疑惑で失脚した田中内閣に替わって三木内閣が政治倫理を唱え田中角栄元総理大臣が逮捕されるという前代未聞の事件が起こったりしていた。経済は不況のさなかにあり大企業の興人が倒産するなど企業倒産が相次ぎ世相は暗かった。国民は政治に失望し、不況にあえぎながらもそのうち景気が循環してまた好景気がくるだろうと明日を期待しているという、ゆとりのようなものがまだ残っていた。日本経済はまだ右肩上がりの趨勢を失ってはおらず、世の経営者達や投資家達は次の時代に流行る事業は何かを模索し探していた。
今でこそコンビニアンスストアはどんな田舎町へ行っても必ず見かけるほどに普及したが、当時の日本の社会には皆無であったし、言葉自体が新鮮な響きを持っていた。この視察団が帰国して一年経つか経たずしてコンビニアンスストアが雨後の竹の子のように都会地に出現した。この事実を知ったときこの視察団の団長を勤められた商学博士、法学博士、文学博士という三つもの博士号を持つ斉藤先生の炯眼を思ったものである。
当時先生は参議院議員であったが、旅行中のセミナーで学者が何故国会議員になったかを洩らされたことがある。それは飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった田中自民党総裁から「悪いようにはしないから出馬してくれ」という要請があったからだという。先生は総裁が「悪いようにはしないから」という意味を大臣のポストを用意するからという風に理解して出馬したというのであった。碩学の先生にして名誉欲という俗世間的な誘惑に勝てなかったことに人間らしさを感じもし、人間の持つ煩悩のようなものを感じたのである。
ニューヨークのエンパイヤステートビル近くのホテルに宿泊したのであるが、夜遅くまで続いたホテル内別室でのセミナーが終わり、自室へ引き上げた。
翌朝目覚めて時計を見ると、やがてモーニングコールがかかる時間だった。髭剃りを始めたところ、激しくドアを叩く音が聞こえた。まず覗き穴から覗いてみると目に飛び込んできたのはパンツ一枚の裸でたたずんている日本の国会議員であり三つの博士号を持つ碩学の斉藤栄三郎氏ではないか。 慌てて扉を開けながら、押し込み強盗にでも入られて身ぐるみ剥がれたかとの思いが一瞬脳裏を駆けめぐり、胸を早鐘が打つ。 「先生どうなさいましたか」と聞く声にも力が入る。
先生答えて曰く、 「いやー、お恥ずかしい。鍵を部屋へ置いたまま荷物を廊下へ出そうとしたものだから、部屋へ入れなくなってしまったのです。一寸電話を貸してくださいませんか」 この話は今まで口外したこともないが先生は泉下から苦笑いしながら聞いておられることだろう。
  
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