木曜日からのこの3日間は激動の3日間でした。 何があったん?はい、話せば長くなりますが、聞いてください。
まず、水曜日の夜、母が一言、「○ちゃんが癌らしい。子宮ガンだって。でも、まだいろいろ検査するらしいけど、私には心配するから教えるなって。でも・・・・・・・」って。実は○ちゃんって私の二つ下の妹。様子もわからずただひたすら心配。でも、乳がんより完治する確立も高いとわかって少々安心。木曜日は少々凹んでましたが、考えてみれば、けいちゃんは手の施しようがなかったけど、妹はまだ普通に生活してるし、元気なんだから、今の医学発達してるし、なんとでも治療法はあると思ってプラスに頑張ってみようと切り替えられたのが、木曜日の後半。夜に本人とも連絡して、初期だと思うし、まだ手術するかどうかもわからんし、転移してるかどうかもわからん。って事で、本人さんは超楽観的。私に連絡しなかったのは、とっても話が大げさになるから連絡しなかったって。まぁ、本人が前向きならこちらもプラスでいこうって思ってました。
その後、いつもなにかあると連絡する友達に電話したら、いつもは私の愚痴や悩みで一方的に終わる友達が、電話切る前に、少し話ししてもいい?って言うから、何だろうってドキドキ。友「結婚するねん」私「誰が?」友「私が」私「誰と?」友「誰とって男と年明けにするから1月15日一日あけといて」私「え?マジ?相手は初婚?いくつ?どこで知り合ったン?」って質問攻め。結局宝塚の縁で、10歳年下の彼で、今年春から付き合い始めてたらしい。今までに報告したかったらしいが、いつも私が一方的に話しこんで一方的に電話切るから報告できなかったらしい。確かに私が一方的に話しこんでたし、一度会おうっていっても、いつも二人の予定が合わなかったし、彼女いつもどこにいる?って聞いても大阪が多かった。今から考えればデートだったんです。電話を切った後、母親達に彼女が結婚するって大騒ぎしてました。その彼女と出会ったのは、今から30年前、中学2年の時のクラスメイトで、一度大喧嘩してからとっても仲良くなって、3年でクラス変わっても、高校が分かれても私が結婚しても、いっつも傍にいてくれてました。週に1度は連絡してたし、もちろんお互いの家庭事情もよくわかってました。特に私は本当になにかあったらすぐ彼女に連絡してたんです。宝塚に夢中で私設ファンクラブの代表したり、その人が宝塚卒業した後も、この年だし結婚なんて・・・・・・って言ってたから、独身でずっと私の傍にいてくれる友人だって思ってただけに、結婚がとっても嬉しい事なんだけど、我に返ったときは、まるで彼女をとられた気持ちになってしまうくらい寂しい空間が出来てしまいました。でも、本当に彼女は私にとって怒ってくれたり、愚痴を聞いてくれたり、励ましてくれたり本当にいい友人でした。彼女から結婚しても遠くにいくわけではないし、今まで通りの友達だよって言ってもらったけど。。。。。。
そんな激動の3日間を終えて、昨日カウンセリングをしてもらいました。 そしたら、「あなたが今まで自分の辛さしか言わなかったことなのに、冷静になってみれることができるようになったのは成長してるからだね」っていってもらいました。自分の中で感情が激動してるのもわかるようになってるのも、欝から脱出してきてる過程の一つなんだって。確かに妹の事でめちゃ凹んでたとき、私より凹みそうなのは、本人であり、また母であることもわかってた。だから私は凹む前になんとかプラスになるように考えたし、逆に友達の事はめちゃ嬉しかったけど、そこで冷静になって自分にとっての彼女の存在の大きさを考えることもできた。すぐには無理だけど、冷静になるような時間を持とうとしてる自分がいる事は確かなんですけどね。
ということで、昨日友達のベアフェスに行った後、手芸店に行って友達のプレゼントにウエディングベアとリングビローを手作りでプレゼントすることに。ついでに私の髪の毛用のヘアピンもピアスも手作りすることに。 ということで、とっても忙しい日々になりそうです。頑張ろう〜〜〜〜〜
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