今日は主人が休みだったんで、朝から琵琶湖へ釣りに行って来ました。 道中いろんな話しをしました。子供達のこと、けいちゃんのこと、私たちのこれからのこと。いろんな話しをしました。 釣りも実は、この冬から来年春にかけて宝塚から手をひこうって思ってる私に新しい趣味をもたせようとの配慮からの釣り。手取り足取り教えてくれました。おかけで少し面白さがわかりかけてきました。最初は釣りに行っても、車の中で本を読んだりしてたんだけど、とりあえず小さくても釣れそうな場所に移動して釣れるようにしてくれました。
帰りはけいちゃんのことをずっと話ししてました。 主人のなかでのけいちゃんって事故の前の4歳で止まってるみたい。 思い浮かぶ事も4歳のけいちゃんみたい。頭の中ではもう1年生ってわかってても、けいちゃんの1年生は浮かばないみたい。主人の頭の中ではこれからもずっと4歳のけいちゃんでいるみたいです。そんな話しをする主人もどこかやっぱり辛いものがあるんだって思います。私だけじゃないんだよね。平常は笑ってる主人も辛さや寂しさが消えた訳じゃないんだって思いました。私もそうなんだよね。私の中でも4歳のままなのかもわからない。 いや、私のなかでは年齢よりけいちゃんの存在が必要なんですよね。
私たちの年のことも話しました。40歳すぎて更年期障害っていうのか、 昔みたいにやる気力が衰えてきた。記憶力も根気力もなくなってきたけど、最近の子供達をみてると自分たちの頃に比べて根気力も気力もないように思える。わが子をみてても、そう思える。最近の子供って不器用なのか、時代のせいなのか、私たちが出きて当たり前のことが出来なくなってきてる。そう思うようになった私たち自身が40歳っていう年齢を感じているように思える。本を読んでも頭に入っていかないし、覚えようと思っても時間がかかる。新しいことにチャレンジしようとする気力さえでてこない。私はこれをけいちゃんの事があった鬱のせいだとばかり思っていたけど、主人も同じ事を感じてたみたい。ということは、たまたまけいちゃんの事がきっかけで更年期障害の始まりが早くなっただけで、ある意味当たり前のことなのかもしれないって思えてきた。
今日は主人といろんな話しができてとっても有意義であったように思う。 でも、きっと明日からまた私はゴロゴロとする毎日を送ってしまうんだろうって思う。主人は私に対していろんな配慮をしてくれてるから、主人といることが楽しくなってきた。夫婦ってなんだろうって思うときもあるけど、なんだかんだといっても私達もいい夫婦なのかもわからない。いや、そうなれそうな予感がしてきた。私達の尊敬してた近所の仲良かったおじいちゃんたちみたいに近づけたらいいんだけど。
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