昨晩は就寝中に3回もトイレに目が覚めて何となくスッキリしない美南海ですコンニチハ。 何かのビョーキか?
今日の夜のドキュメント番組見ました? 古館司会の。
最後の方の悪性腫瘍(ま、所謂ガンですな)の女の子のを見て オレのオカンが5年ほど前に患った病気を思い出した。
アタシのオカンも悪性腫瘍で手術をした。 あん時はアタシもまだ離婚するかどうするかの別居中だった。 子供は1歳半になったばかりの頃だった。
鼻の奥(鼻腔)に腫瘍が出来るというちょっと珍しいガンだった。 その手術では、 鼻そのものの切除、 もっとひどければ眼球までも切除しなければならないならない、 という手術になり得た。 もしも治っても、鼻の無い顔(眼球も)になるというものだった。
その手術をするぐらいならそのまま悪性腫瘍に殺された方がマシだ、と 母は手術を拒んでいた。
その時。 アタシは 「もしもこの人が死ぬ時"ああ、幸せな人生だったなぁ"と笑って死ねる人生だったのかなぁ」 と思った。
もしもこれが自分の病気だったら。 自分はどうだろう。幸せな人生だったなぁ、と笑って死ねるのか?
その時のアタシは離婚問題で揺れていた。 旦那は現在行方不明状態にもかかわらず必死に夫婦関係を立て直そうと頑張っている反面、「もうイヤだ」と思っている自分。 おそらく治療が必要なレベルまでのノイローゼになっていた。 子供に助けられる形で鬱からは脱却できていたけどな。
結局、母は鼻も眼球も温存する形で最低限の腫瘍を切除する手術をした。 治療と抗がん剤で半年入院していた。
アタシが母の看病で病院の中をウロウロしていた時に、 私が卒業した高校の先生にバッタリ会った。 そしてその先生の娘は、私の幼なじみのお母さんだった。
「あれ?先生、こんなところで何してるの?」←アタシ
「あー、私ね、2年前にクモ膜下出血をしちゃってねぇ。通院してるの。どうにか半身不随とかにならなかったし、良かったわよ。あはは。」←先生
「うわー・・・そうなんだ?良かったですね。あ、そう言えばユウコちゃん(←アタシの幼なじみ)元気ですか?」←アタシ
「ユウコも23歳で胃癌にかかってねぇ。膵臓とかにも転移してたんだけど手術して今は元気よ。胃を切除してるからイカとか食べたらダメなのに食べてるわ(笑)。結婚したんだけど、まだ子供は作る事は出来ないの」←先生
ユウコちゃんが23歳で胃癌。 アタシはちょっと絶句した。 母の年代なら癌と言う物は無くも無い病気だけど、23歳でも癌を患うんだ・・・。 そんな事は周知の事実だけど、「友達の体験」と言う事で改めて「死」と言うものの身近さを感じた。
私が今、死んだら・・。 幸せだと言えるのだろうか。 幸せじゃないと言える自信しか無い。
そんな事を一瞬考えているアタシに先生が言った。
「人間なんてね、いつ死ぬのかわかんないのよ。 痛い時はね、痛いという勇気も必要なの。 自分勝手にしろ言うのとは違うけど、もっと自分のために生きるのよ。 アナタの人生なんだから。」
先生には一切、私の離婚問題の事は話していないのに。 アタシの心を全て見透かされてた気がした。
自分が「幸せだ」と思う人生。 それを作るのは自分。 今の一瞬一瞬を大事に生きて行かなくてはいけない。 自分の納得出来る人生を送らなくてはいけない。 そう思った。
それからアタシが「離婚」と言う結論に踏み切ったのはそれから1週間後だった。 3年近くもの間悩んでいた離婚に、たった一週間で気持ちが切り替わった。 その時ちょうど母も退院できる時期だったのも幸いだったけど。
それからと言うもの、腫れ物が落ちたように私の心は変わった。
母は無事に今現在も再発せず、鼻も眼球も温存できて結果的には手術は成功。 そして私も現在に至るワケです(笑)。
人間、いつ死ぬかわかんないんだ。 じゃあ好き勝手するかって?そうじゃなくて自分が納得出来る人生を歩む事が大事なんだよ。 自分に嘘はつけないからね。
p.s. ご投票頂いてる方々。いつもアリガトウゴザイマス。 明日はたぶん日記休みます。ウフ。仕事が切羽詰ってますので(ぉぃ)。
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