2010年03月21日(日) | 記憶を紐解く | カコ ミライ モクジ |
そういや、2月にハルヒ観たり。 個人的な感想とか言ってみる。 キョンを観てて、イラッとくることはあっても 今まで恋する下地は全くと言っていいほどなかったんだよね。 どっちつかずで、止まってしまっていて。 俺は巻き込まれてますみたいな被害者意識は まぁ、読者の物語への自然な誘いに不可欠だと思うんだけどさ。 どっちかと言うと‥ 報われない感じがいじらしくて、小泉のほうが観てて、ムラっとくるというか、泣かせたくなるつうか。 それが今回のキョンは、たまらんかったね!! 読者との橋渡しを断ち切り、達観した仮面を脱ぎ捨てた姿に、つい欲情(笑) 長門がすがるように袖摘んだ指先を、振り切るシーン。 止まっていた駅の自動改札を、躊躇なく抜ける。 自分自身をなじって踏みつけるシーン。それをはねのける、自分自身。 これを通過儀礼と言わず、なんという。 イニシエーションによる自我同一性の達成。 しかも、これには、二重三重仕掛けが施されてあって 過去未来の本人入り乱れて(俯瞰性客観性)の展開で、さらに言うと、死と再生までやってのける。 大体において、物語は通過儀礼を描くのであって、だからこその物語。 どんなのだって、穿った見方しちゃえば、ひとつところなのだけど 周辺の登場人物がさ、超能力者だったり未来人だったり‥ 今回の映画の話の主筋である、世界改変なんつう大がかりな自己アイディンティティーの崩壊(つうか放棄)をやらかしちゃう宇宙人なんかいちゃう中で 唯一普通の人間、単なる高校一年男子が、自ら選択し、自分の手で成し遂げようとしたことに意味がある。(もちろん、手助けは受けるが) 選び、捨てようというのを表現する 上記シーンにセクシャリティ覚えんで、私の存在の意味があろうか。いや、ない。 感じて当然!やりたくなって当たり前っつうの!! だって、好みど真ん中なんだもん!(年齢とか色々…ゴニョゴニョ) わたしの見方はかなり可笑しい、著しく偏ったものですが まーこんな感じの感想もあるよっつう。 |