みのるの「野球日記」
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2006年08月01日(火) タテジマに憧れて 〜東海大相模・石丸健大〜

■神奈川大会決勝

横浜 241304010|15
東海 000014200|7

 応援席への挨拶が終わると、そのままグラウンドに顔をうずめた。仲間が一塁側ベンチの中で泣き続ける中、グラウンドに一人残り、肩を揺らして泣いていた。

 背番号17を着けた石丸健大に、目がとまったのは準決勝の横浜商大戦だった。
 2回裏、2アウト一塁。ランナーは兵頭、バッターは小玉という場面。小玉がセンター前へフラフラと落ちる安打を打つと、兵頭は当然のごとく三塁へ。しかし、三塁で止まる姿勢はまったく見せず、一気にホームまで帰ってきた。ランナー一塁から、センター前ヒットで得点という衝撃的なシーンだった。

 このとき、目に飛び込んできたのが三塁コーチャーにいた石丸だった。迷うことなく、腕をグルグルと回し、兵頭をホームに突っ込ませていた。
 じつは、それまで、三塁コーチャーが石丸とは気づいていなかった。三塁コーチャーが背番号17とわかり、名簿で確認すると「石丸健大」の名。「あぁ、石丸か!」と、思わず声を挙げそうになった。

 石丸を初めて見たのは3年前に北海道で行われた全中。
石丸は明徳義塾中の1番サードとして活躍していた。体は小さかったが、足が速くて、いやらしい選手だった覚えがある。
 翌年、石丸の名は東海大相模の部員名簿に記載されていた。中学時代のチームメイト、田中大二郎とともに、東海大相模に進んだ。

 石丸はもともとは佐賀の出身だ。明徳義塾中に進んだのは、「強いところでやりたかったから」。お父さんが、野球を思う存分やれる環境を、探してきてくれたそうだ。
 東海大相模を選んだ理由は、「タテジマに憧れていたから」。憧れたきっかけが、じつは全中にあったという。
「全中に東海大翔洋中(静岡)が出ていたんです。そのときに翔洋のユニホームを見て、大二郎と『タテジマ、カッコイイなぁ』と話していました」
 「明徳もタテジマでしょ?」と突っ込むと、「明徳のはラインが細いんですよ。東海のタテジマがいいんです」と、タテジマにこだわりを見せていた。
 もちろん、ユニホームだけが東海大相模を選んだ理由ではない。「強いところでやりたい」「大学でも野球を続けたい」という思いも、そこにはあった。
 
 入学後の春、大二郎はスタメンに、石丸も1年生ながらベンチに入る試合が増えた。「このままなら、3年生になればレギュラーに…!」と期待して見ていたが、新チームになってすぐ、門馬監督から告げられた。
「お前は野球を一番よく知っている。三塁コーチャーになってくれないか」
 石丸は「チームのためになるなら」と、門馬監督の言葉を受けた。

 三塁コーチャーとして、もっとも気をつけていることは、「先の塁を狙わせるのは当たり前。先の先の塁を狙わせる」こと。横浜商大戦での得点は、まさに先の先の塁を狙わせた、素晴らしい判断だった。
 ただ、賭けだったわけではない。完璧な計算がそこにはあった。
「前の試合を見ていたとき、商大のセンターが中継にしっかりと投げられていなかった。今日のシートノックを見ていても、強いボールが放れない。これは狙える、と思いました」
 このシーンを見て思い出したのは、かつての巨人―西武の日本シリーズ。センターのクロマティに飛んだ打球で、一塁ランナーの辻がホームインしたシーンだ。三塁コーチャーは名コーチャーと呼ばれた伊原春樹コーチだった。
 そのことを、石丸に伝えると、「え? 何ですか? 知りません…」と困った顔に。あの伝説のプレーを知らないなんて…、年の差を感じるとともに、知らずに狙わせた石丸もスゴイと改めて感じた。


 三塁コーチャーズボックスに立つ石丸を見ていると、ボールデッドになっているときに素振りを始めることに気づいた。もちろん、バットは持っていないので、シャドウだ。
 普通、三塁コーチャーともなれば、試合に集中して、スイングの練習はしないもの。石丸ほどになれば、それも十分分かっているはずだが、そこには抑え切れない気持ちがあった。
「試合がある限り、最後の最後までセンターのレギュラーポジションを狙っています。長谷川隼也に負けない気持ちは常に持っている。甲子園では、背番号8を着けて、プレーする気でいます」

 決勝戦、石丸は7回裏の守りからセンターの守備についた。今大会、4試合目の出場だ。打席は9回裏、1アウトランナーなしで回ってきた。外角ストレートを見逃したあと、外に落ちるスライダーをセンター返し。この夏、2本目のヒットを放ち、後続に甲子園の夢をつないだ。
 しかし、最後は、6年間一緒に野球をしてきた田中大二郎のセカンドゴロでゲームセット。「ずっと一緒にやってきたから、大二郎には負けたくない」。そう思い続け、石丸は大二郎の背中を追い続けていた。

 レギュラーの座をつかめなかった高校3年間。甲子園を目前にして敗れた最後の夏。悔しさばかりが募り、グラウンドに顔をうずめた。
 これからの進路を聞くと、「大学で野球をやりたい」「大学でレギュラーをとりたい」と次なる目標を語ってくれた。次はプレーヤーとして、グラウンドで光り輝くときを今から楽しみにしたい。


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