本日、伊勢原球場で行われた秋季神奈川大会4回戦で、今夏の甲子園代表桐光学園が厚木西に敗退した。初回に失った3点を最後まで取り返すことができず、2−4で惜敗。00年春から8大会連続でベスト4以上を続けてきたが、今秋は予想以上に早い段階で姿を消した(下記参照)。
春 夏 秋 00年 優勝 準優勝 優勝 01年 優勝 準優勝 ベスト4 02年 ベスト4 優勝 4回戦
と、冷静に書いてはみたものの、応援校の敗戦はやはり悔しい。1月31日のドキドキ感を味わえないことが、何より寂しい。でも、これまで強い思い入れを持ってきたチームの敗戦とは何かが違う。信じられないほどにショックが少ない。
敗戦を目の当たりにしなかったからだと思う。負けたことは、桐光の応援掲示板で知った。球場にいなかったために、どれほど惜しいゲームだったのか、選手が負けた瞬間にどういう表情をしたのか、球場はどんな雰囲気だったのか、何も分からない。
この夏、東林中の試合を相模原市大会の準々決勝から、関東大会の初戦まで見続けた(1試合、桐光の試合と重なり見れなかったが)。保護者の方に、「毎試合見に来るのには、どういう想いがあるの?」と訊かれたことがあった。少し悩んだ末、「最後を見届けたいから。最後を見ていたいから」と答えた。
決勝で勝って優勝をするのも、チームにとっては最後。初戦で敗れるのも、もちろん最後。チームとしてプレーできることが終わった瞬間、選手、監督はどんな表情をするのか。球場に、どんな空気が流れるのか。最後を見逃したくなかった。
東林中の最後は関東大会の初戦、遠く山梨の地だった。
背番号7のエースは、外野の芝生でクールダウンをしながら、雲ひとつない真っ青な空をじっと見つめていた。サードを守る2年生も大粒の涙をこぼしていた。球場の外で、保護者に挨拶を述べるキャプテンの声も涙交じりだった。ミーティングが終わった直後の佐相先生の目も真っ赤だった。
ひとりひとりの「最後」が、つい昨日のように甦ってくる。
1ヶ月前、夏の甲子園3回戦。敗戦の責任を一身に背負った2年生の吉田は、アルプススタンドに挨拶をした瞬間、膝をついて崩れ落ちた。とめどなく流れる悔し涙を、どうすることもできなかった。
今日の厚木西戦。8月下旬に背筋を痛めて登板のなかった吉田が、最後の1イニングだけ登板した。走者二人を出したが、何とか無得点に抑えた。背筋痛のために、エース番号を同期の笠貫に奪われた吉田。敗戦の瞬間どんな表情をしていたのだろうか。
桐光学園の秋の最後。センバツが絶たれた今日の試合。最後が訪れた瞬間、選手、そして監督はどんな思いだったのか。
最後を見れなかったことを、今後悔している。
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