みのるの「野球日記」
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2002年05月04日(土) 東海大相模「走塁」への意識

 保土ヶ谷球場で行われた春季神奈川県大会決勝、東海大相模対日大藤沢を観戦した。試合は序盤から東海大相模の打線が爆発。13−6で日大藤沢を下し、7年ぶり5度目の優勝を飾った。
 
 これで夏のシード16校が次のように決まった。
・第1シード 
 東海大相模、日大藤沢、桐光学園、横浜商業
・第2シード 
 神奈川工、藤嶺藤沢、桐蔭学園、平塚学園
・第3シード
 県川崎、横浜商工、向上、横浜隼人、県商工、慶応、横浜、相模田名

 この振り分けを見ると、7月から始まる夏の県大会は第3シードの横浜がどのゾーンに入るか。ノーシードに終わった私学の強豪・横浜商大、鎌倉学園のクジにも焦点が集まりそうだ。

 さて、今日の決勝戦、東海大相模の「走塁」に目がいった。
 99年に村中監督(現・東海大甲府)から現在の門馬監督に変わってから、相模の野球は変わったと言われる。豪快に打ち勝つ野球から、投手を中心した守備で守り勝つ。走塁に重きを置き、長打がなくとも点を取れる野球に変わった。
 00年センバツ優勝メンバーで、現在は東海大学で活躍する瀬戸選手は「門馬さんになってから、走塁・守備の練習時間がめちゃくちゃ増えた」と話しをしていたほどだ。

 センター前にシングルヒットを打つ。多くの選手は一塁ベースをオーバーランし、センターから中継のショート、あるいはセカンドにボールが返ってくると、当たり前のように一塁ベースに戻る。ひどい選手になると、中継にボールが返球される前に、一塁に戻る。「どうせシングルヒットだから」と決め付けているかのようだ。中継の間に何が起こるか、もしかしたらセカンド、ショートが気を抜いて、二塁ベースを空けるかもしれないのに、そんなことを気にする素振りはない。

 相模の選手の場合はどうか。中継から投手にボールが戻るまで、獣のように鋭くボールの行方を追っているのだ。投手がボールを手にしてようやく、一塁ベースへ戻る。
 印象に残ったシーンがある。初回、相模が1点を追加して、なお2アウト三塁。ここで5番坂下がライト前へタイムリーヒットを打った。坂下は打球の行方を見ながら一塁をオーバーランをすると、ライトからショートへの返球を睨むように追い続け、その動きは投手にボールが返るまで続いた。「ちょっとした隙があったら、二塁を狙ってやる」という意思が強く感じられた走塁だった。
 なぜこのシーンが印象に残ったのか。初回、1−0から2−0に広げる価値ある
タイムリーだったのに、喜ぶ素振りも何も見せずに、次の塁を狙う動きを見せたからだ。
 試合を通して見ると、坂下に限らず、出塁したランナーすべてに次の塁を狙う意思が見えた。徹底された意思だった。

 相模は1977年を最後に夏の甲子園から遠ざかっている。もう20年以上もだ。今年は昨年から主力として活躍していた選手が多く残り、前評判も高い。
 昨秋は優勝候補に挙げられながら、準決勝で平塚学園に0−1で惜敗。平学のエース柳川を全く打てなかった。好投手を前にして、思うように打てないとき、どのように点を取るか。その意識がさらに高まったのでないだろうか。
  
 今年の神奈川を見渡すと、例年以上に好投手の存在が光る。桐蔭学園・栂野、日大藤沢・阪口、藤嶺藤沢・門司、横浜・福井など、夏には必ず対戦するであろうライバル校のエースだ。
 25年ぶりの夏の甲子園へ。次の塁を意識した「走塁」で激戦区神奈川の夏を制覇することができるか。


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