加藤のメモ的日記
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2023年10月02日(月) 微光の道

最近またパリにやってきて書店が目立って少なくなっているのに気が付いた。私たちが初めてこの都会に留学生として来た頃は、ソルボンヌを中心として、サンミッシェル通りからオデオンにかけて、軒並み書店だった神田の雰囲気を近代風にしたのがカルチェ・ラタンだった。野暮で古風で、時代を超越し、いかにも融通の利かない頑固な感じがした。どの店も古びていて、革装本も多く、新刊書はほとんどアン・カットで、読みながらペーパーナイフでページを切ってゆく。当時それがひどく高級なことに思われたものだ。

カルチェラタンから書店の数が減り出したのは60年代後半からだ。68年の事件後、一時的に映画や哲学の高揚期が合って、ニューファミリーを対象としたような新しい手イプの書店ができたが、それもだんだんと消えていった。

書店に並ぶ本も、革装本はもちろん、アン・カット本も少なくなり、新鮮なデザインのビニール装の本が出始めた。フランスも近代化したと感じ始めたのと、書店が減り出したのとが、同時だったのは皮肉である。本が売れなくなって書店が減り、そこで出版社が本の近代化を計ったのだろう。

大手出版社の部数なども、日本のベストセラーなどに較べると、ずっと控えめだ。もともとフランス人は本を図書館で読むものと心得ているから、あまり本を買わない。テレビの影響もあってその売れ行きは確かに落ちている。状況は悪いが、かなりの出版社は相変わらずいい本を出している。

私が今住んでいるカルチェラタンの奥のデカルト外周辺にも、意外と小さな出版社があって、標識も看板もないので、つい気づかずにその道を通り過ぎてしまう。そんな出版社は日本のフランス文学関係者も知らないし、フランスの読者だってあまり知らないだろう。

ところが、歳月の埃で薫んだショウウィンドウをのぞくと、そこには有名無名の著者の詩集や評論がたくさん並んでいるのだ。先日もリルケのウランス詩に関する研究書を探していたら、我が家の裏手の出版社で出しているのがわかった。早速訪ねると、書棚の本の山の中から、30年も前に出版したその本を見つけてくれた。税法の関係で、フランスでは在庫本を断裁する必要がないので、古いカタログに出ている本でも、半世紀ほど前のでさえ、案外在庫する場合がある。

先日ムフタール街を下ったところに小出版社を一軒見つけた。並んでいる本から察するにポーランド系、ユダヤ系詩人の詩集を出しているらしい。店の奥に、本の校正をしている老人と助手の東洋人の女性の姿が影絵のように見えた。こんな出版社が存在することも現代では奇跡のようなことだろう。

たまたま昨日ムフタール街の市場に買い物に行ったら、社主らしいその主人が戸口に立っていた。柔和な、80に近い、白髪の人物だった。その顔がなんとも亡き父の顔にそっくりだったので、私は一瞬ハッとしてそこにくぎ付けになった。

私の父は薩摩琵琶の弾奏家で、終戦後、アメリカ文化の氾濫するなかで、黙々と琵琶の演奏を一人続けていた。弟子もなく、同好者も散り散りになっていた。私は父の孤独を知りながら、父は父、私は私と割り切って、琵琶を聞くこともしなかった。 

出版社の老社主の顔には、父のそれと似た静かな孤独感があった。この老人も、今の世の流行とは無関係に、自分の信念に従って生きている。だが、やはり孤独には、ある寂しさ、ある悲しみが貼りついている。それは、かって父の顔に私が見たものと同じだった。私が足を停めたのもそのためだった。

おそらくこうした孤独耐えた善意の上に文学や芸術は成り立っているのであろう。時代の華やかな流行はそれに気づかない。だが、流行が流行として生きてゆけるのも、こうした見えない土台があるからなのだ。そう思うことが孤独なこの老人への何よりの賛辞であろう。

私が店をのぞいたとき、老人はまた机に向かっていた。ムタフール街から野菜を売る商人たちの威勢のいい声が響いていた。何度もパリに来ながらこの都会への愛が深まるのはこういう時だと私はあらためて感じないわけにはゆかなかった。


『微光の道』辻邦生                       P106





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