加藤のメモ的日記
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2016年08月02日(火) 元横綱千代の富士死去

優勝31回 国民栄誉賞 61歳

大相撲で歴代3位の31度の幕内優勝を誇り、「小さな大横綱」と呼ばれた第58代横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日、すい臓がんのため都内の病院で死去した。61歳だった。九重親方は昨年9月、がんを患っていることを公表。治療を続ける一方九重部屋での弟子の指導や、相撲協会での監察委員の業務をこなしていた。7月の名古屋場所にも姿を見せていたが、途中から体調を崩して休場し、帰郷していた。

北海道福島町生まれ。1970年秋場所で初土俵を踏み、1975年秋場所で初土俵を踏み、1975年秋場所で新入幕を果たした。110キロそこそこと軽量ながら、速攻相撲と抜群の運動神経で頭角を現し、関脇時代の1981年初場所、北の湖との優勝決定戦を制して初優勝を遂げ、場所後に大関昇進を果たした。精悍な顔立ちから、「ウルフ」のニックネームで呼ばれ、大相撲は空前の「ウルフフィーバー」に沸いた。

大関をわずか3場所で通過して、一気に横綱まで駆け上がったが、力任せの強引な相撲でたびたび肩の脱臼に苦しんだ。その後は左前まわしを引きつけて夜正攻法の取り口を磨いて優勝を積み重ねる一方、、1988年夏場所から九州場所までは双葉山の69連勝に次いで、昭和以降2位の53連勝を記録した。1989年秋場所で通算965勝を達成し、相撲界初の国民栄誉賞を受賞。相撲協からは一代年寄の資格を贈られたが辞退した。1991年夏場所初日に新鋭の貴乃花(後の横綱貴乃花)に敗れるなどした後、「体力の限界」と、涙で現役引退を表明した。通算勝ち星は、魁皇に次ぐ歴代2位の1045勝(437敗159休)。

引退後は九重部屋を継承して、大関千代大海らを育てた一方、相撲協会の理事にも就任し、審判部長、事業部長などの要職を歴任した。2014年に協会の理事候補戦で落選してからは、役員から外れていた。昨年5月末には、東京・両国国技館で太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士の両現役横綱を従え、還暦祝いの横綱土俵入りを披露した。


『読売新聞』8.1


加藤  |MAIL