加藤のメモ的日記
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2015年04月05日(日) パール判事の日本無罪論 ��

本書は第2次世界大戦終結後に行なわれた東京裁判の本質と、この裁判においてただ一人被告人員無罪を主張した、インドのラダ・ビノート・パール判事の理念を最も簡潔、的確に伝えた一冊である。著者の田中正明氏は、連合国占領下の言論弾圧が非常に厳しい中、公表を禁止されたパール判決文の刊行作業を秘密裏に続け、1952(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復したまさにその日に、本書のものととなる『パール判事述・審理の裁き』・日本無罪論』を出版された。そこまでの執念で、本パール判決文を世に問うてこられたのだ。パール判事と東京裁判の真実に関して、田中氏の著書を超えるような本は他になり。だからこそ、本書は長年版を重ねてきたのだろうし、これからも若い人が読み継いでいかねばならないとわしは思う。

東京裁判が、国際法の常識から照らして全く野蛮な復讐劇であり、政治的野蛮に過ぎなかったことはもはや世界で年式されているのに、日本では東京裁判を否定するといまだに右翼とか、戦争を肯定する危険思想、と言われてしまう。こんな風潮はそろそろはっきり打ち破らねばならない。本書はそのために必要だ。例えばA級戦犯という言葉がある。靖国神社参拝問題ではこの言葉の意味も知らずに批判する者が実に多かったが、これも東京裁判でつくられたものだ。

戦勝国の検察官は、日本が1928(昭和3)年1月1日1945(昭和20)年9月2日までの間、一貫してアジアを侵略して支配下に置くための陰謀を企て、その謀議に添って満州事変、日中戦争、太平洋戦争を引き起こしたのだと主張し、これが裁判の最も重要な点となった。そしてこの共同謀議をした犯人として軍人、閣僚など28人を起訴し、これを「A級戦犯」と呼んだ。

ところがこの28人は思想も信条もバラバラで、お互い会ったこともない人までいた。A級戦犯の一人、賀屋興宣は「軍部は突っ走ると言い、政治家は困ると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとお恥ずかしいくらいのものだ」と言った。実際、その間に政権は18回も交替しており、ドイツが延々と続いたヒトラーの独裁政権下で謀議を重ねたのとは全く違う。東条内閣ですら、議会の反発を受けて総辞職に追い込まれてる。当時の日本は国会が機能しており、あくまで憲法に基づいてリーダーが選ばれていたのであり、共同謀議など皆無だった。


加藤  |MAIL