加藤のメモ的日記
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2014年06月02日(月) 伊良部秀輝

何かあるとすぐ不貞腐れた。GMにも噛みついた。でも誰よりも速かった。日本最速エースは周囲と衝突しながらメジャーを目指し、道を切り拓いた。だが、夢みたい舞台で待っていたものは―

前篇 生き別れた父を探して 人生最後のインタビュー

ロサンゼルス市内の和食屋に現れた伊良部を見て、僕は想像していた人間とはずいぶん印象が違うと思った。190センチを超える身長、大きな上半身、顔つきはテレビで何度も見たきた伊良部だった。ただ、顔色が青白く、マウンドで打者と対峙していた時のようなふてぶてしさはなかった。日付は2011年5月26日。引退後、ロサンゼルスで暮らしていた伊良部への取材は、4時間にも及んだ。

一般的に伊良部は扱いづらい男と思われており、事実、資料集めをしていても、彼のインタビュー記事は数が限られていた。千葉ロッテ・マリーンズからニューヨーク・ヤンキースへの移籍で揉めた際の、ふてくされた顔を思い出す人もいるだろう。ヤンキース時代にはオーナーだったジョージ・スタインブレナーから、緩慢なプレーを指して「太ったヒキガエル」と呼ばれて、へそを曲げたこともあった。「かってに俺の写真を使うな」「お前、名刺を出せ。その裏に実家の連絡先を書け」そう報道陣に食ってかかり、差し出された名刺を破ったり、ペンを奪い取って真っ二つに折って捨てたりした。ボールを投げつけたこともあった。

ところが、実際の彼は穏やかで饒舌だった。「どうして軽く投げて、あんなに速い球が投げられるんですか?」伊良部は帽子を飛ばし、ちぎれんばかりに振って投げるという感じではない。軽やかに投げているように見えるのだが、腕から放たれた球は時速150�劼鯆兇┐討い拭K佑量笋い飽卜鰭瑤魯侫侫侫叛爾鮖Δ靴鴇个辰拭�「途中までは軽く投げていますよ。力を入れるのは最後、ボールを放すときだけです。それ以外は力を入れても意味がないというか、腕のスイングが遅れたらいけないんで、技術的な話をしますと、できるだけ腕が見えないように、腕を隠す」

伊良部は右腕を背中の後から素早く振った。「球の速さよりも球の出所が見えないほうがずっと大切ですよ」野球の話は尽きなかった。少々、元気がないことが気になったが、頭の回転が速く、愉快な男だった。ただ、一度だけ、彼が不機嫌になった場面があった。それは実の父親に関する質問をした時だ。彼は子供の頃、実の父親と生き別れている。父親はアメリカ人だった。伊良部がロッテと激しく揉めてもアメリカ行きにこだわったのは、父親を探すためだと報じられていた。

「誰がそんなことを言ったんですか?」伊良部の剣幕に僕はたじろいだ。「そういう報道がたくさんありましたが……」「それは事実ではないです」きっぱりと言い切った。「だって僕は本当の父親が名乗り出てくるまでは、自分の父親がアメリカ人と知らなかったんですもの」知らなかったんです、ともう一度繰り返した。「アメリカにいって初めて知ったんです」「どうやって本当のお父さんが、アメリカ人と知ったんですか?」

「いきなり父親だと名乗り出てきたんです。僕は確認しようがないから、母親に連絡したら、そうだって。僕がアメリカに行ったのは、父親を探しに行くためではないです。誰がそんなことを言い出したのか分かりませんけれど」「全く違うんですね」「……面白いですね。僕がアメリカに行きたかった理由が、父親に会いたかったからだなんて」冷たく笑った。伊良部の姿は子供のころから周りと違っていたと聞いていた。この答には納得できなかったが、話題を変えることにした。

翌日は撮影のため、西海岸らしいビーチへ行き、その後、野球用のグランドで、ボクとキャッチボールをすることになっていた。「本当に投げるんですか?」彼は最初、乗り気ではなかった。それでも球の感触を確かめるように、ゆっくり投げ始めると、止まらなくなった。グローブから鈍い音がした。ずっしりと思い、鉛の感覚が手に残った。

カメラマンが「もういいですよ」と言ってからも、伊良部はしばらくキャッチボールをやめようとしなかった。ボールを投げることが楽しくて仕方がないようだった。別れ際に、「またロサンゼルスに来ます。話を聞かせてくださいね」と僕は声をかけた。「いいですよ。連絡ください」伊良部はにこっと笑った。しかし、その約束は果たされなかった。この取材から2カ月後、伊良部は自らの命を絶った。僕は彼にきちんと話を聞いた最後の人間となった―。


『週刊現代』5.31


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