加藤のメモ的日記
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2014年05月28日(水) アースダイバー

特異な聖所 明治神宮

どの古い都市にも、中心部には聖書がある。たいていは人口の建築物で、その壮麗さで人を圧倒する。建物の内部に入ると、がらんとした空洞になっていることが多い。外の世界で幅を利かせている有用性や実利性の考えは、この空洞の中では否定されている。高い丸天井は天空へと通じているようで、人の計らいを越えた神の世界から「無」の光が注がれているように感じる。東京の中心部にある明治神宮は、このような世界の聖所の中でも、特異な性質を持っている。そこにも確かに神社の建物は建てらて手いる。しかし、神道の伝統的な思考に従って、あくまでも建築物は従で、主は建物を取り囲み、包み込んでいる森の方にある。

この森はこれまで見てきたように、科学的知識の最先端を注ぎ込んだ「人口の原生林」である。人口ではあるが、建築の場合と違って、自然に内蔵されている地球的な「知性」という、人間の知性とは異なる働きの合作でできている。世俗的世界を動かしている経済や権力は、ここには入り込めない。妄想も意味も入ってはこない。その意味で、ここは聖所の条件を備えている。だが、ほかの多くの聖所と違って、たんなる無の空間ではない・そこには、溢れかえるような緑が重鎮されている。

吹上御苑の奇跡

ところで東京にはもう一つの素晴らしい夢の森があることを、忘れてはならない。皇居の内部にある「吹上御苑」のことである。吹上御苑は、昭和天皇と香淳皇后のお住まいだった吹上大宮御所の西半分を占めるほどに広大な森で、ほとんど「原生林」の趣を持っている。興味深いことに、この森も明治神宮と同じような人口の原生林であり、それを作った造園家の名前もわかっている。昭和天皇その人である。吹上御苑の造園理念は造園理念は、自然に内蔵されている地球的な知性の動きにすっかりまかせっきりというのが、こ湖での基本思想となっている。

雑草というものはない

吹上御苑の植生の豊かさには驚くべきものがある。常緑と落葉の広葉樹を中心とする巨木が群れ、「雑草というものはない」とおっしゃられた昭和天皇にふさわしく、地面には珍しいものも珍しくないものも取り混ぜて、夥しい種類の草木が繁栄している。そうした植物の多くは、昭和天皇ご自身によって、ここに運び込まれている。戦後繁雑に行なわれた地方巡幸の折々、どこそこの木が切られる予定になっているという噂を耳にされると、わざわざ手配して伐採を中止してもらい、根をこいで吹上御苑に運び込んで、森の新しい仲間とした。そのおかげで、今ではこの森は植物学にとっても貴重な宝庫となっている。

明治神宮の森と吹上御苑の森は、まったく同じ思想によって立っている。外の世界の影響が及んで来ない自由な空間を確保して、そこで自然の知性をのびのびと活動させ、人口と自然の一緒に混ぜ合わさったハイブリッドな空間を作るのだ。東京の中心部には、二つの大きな緑の穴があいている。その穴からは、冷気やフィトンチッドばかりでなく、根源的な自由の感覚が吐き出されている。力ではない。これらの森から放たれているのは、経済からの自由、力からの自由の感覚なのである。



『週刊現代』5.3 中沢新一


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