加藤のメモ的日記
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| 2014年03月30日(日) |
裁判官は出世が命です �� |
生協を利用したら「左翼」
こうした不祥事が続出するのはなぜか。裁判官が仕事のみならず、私生活でも多大なストレスを抱えているからです。例えば、ある裁判官はバードウォッチングが好きなので「野鳥の会」に入りましたが、外部団体に所属することについての遠慮などから、活動はしませんでした。また、ある裁判官の妻は、生協に品物を注文すると、左翼的と思われてしまうのではと悩んでいた。一見すると、くだらないことのように思われるかもしれません。しかし、裁判所の掟を過剰に意識し、外部との関わりを避ける裁判官は絶えず周囲の目を気にすることで、いわば「見えない檻」に囚われているのです。
田舎で暮らしている頃、こんな事件がありました。ある裁判官夫婦が、自分たちの所有する高級車に傷がついているのを見つけ、「官舎の子供が傷をつけた」と大騒ぎをしたのです。私もその傷を見ましたが、どう考えても自転車によるものではなく、何者かが鋭利なもので故意に付けたようでした。冷静に考えれば、子供のせいではないと分かりそうなものなのに、夫婦がしつこく騒ぐので、仕方なく官舎に住む子供のいる母親たちが揃って、その夫婦に謝りに行く羽目になってしまいました。
問題を明らかにせず、うやむやに終わらせてしまったのです。まったく非常識な話ですが、恐ろしいのは、こうした裁判官が刑事事件を担当するということです。言うまでもなく、刑事事件というのは、当事者の事情や気持ちをくみ取った上で、常識的な判断が求められます。それなのに、日本では非常識な人が刑事事件を裁く。極めて危険なことではないでしょうか。
また日本では裁判官が民事系と刑事系に分けられ、基本的に同じ分野を担当します。そして刑事系裁判官は日常的に検察官と接しているため、考えがどうしても検察官寄りになる。被告の中には根拠のない主張をする人もいますから、刑事事件を長く担当していると、被告に対して偏見を持つようになってしまうのです。その結果、刑事系の裁判官は仲間内で被告のことを蔑視し、「奴ら」などと呼ぶようになる。
彼らがそんな言葉を使う場面を何度も見たことがあります。裁判官がこんな姿勢では冤罪がなくなるはずがありません。日本で刑事事件における無罪率が極めて低いのも、裁判官が検察のいいなりやすいことが一つの理由でしょう。問題があるのは刑事事件だけではありません。民事訴訟においても日本の場合は「和解」を強く求める裁判官が非常に多い問い特異な面があります。もちろん、和解が必ずしも悪いわけではありませんが、諸外国では「手続き上の正義」を重視します。
例えばアメリカでは、それぞれの証拠を検討した上、和解を勧める場合は必ず原告・被告双方を同席させます。州によっては判決担当と和解担当の裁判官を分けることもある。判決を担当する、決着をつける人が和解を勧めるのはおかしいという考えがあるからです。ところが日本では、同じ裁判官が原告・被告を別々に呼んで和解を勧めるため、相手方にどんな話をしているのか、さっぱり分からない。ひどい裁判官になると、双方に「あなたは負けますから和解した方がいい」とまで言うのです。判決を下す人にそうまで言われたら、当事者は応じざるを得ないでしょう。
しかし考えてもみてください。そもそも争いごとを好まないタイプが多い日本人がわざわざ訴訟を起こすということは。和解で済ませるのではなく、理非を明らかにしてもらいたいからでしょう。それなのに日本の裁判官は、自分の抱えている事件を早く終わらせたいために、当事者の思いを裏切るのです。
実社会を知らず、常識がない
問題のある裁判官ばかり増えたのは、司法修習生を経て任官されれば、よほどのことがない限りクビにはならないというキャリアシステムが限界に来ているからでもあります。実社会を知らないまま裁判所という特異な世界に染まってしまうため、常識のない裁判官が育ってしまう。それでも昔は相対的に裁判官の質が高く、人に後ろ指を指されまいというプライドと識見を持った人が多かったと思います。
ところがバブル期以降、優秀な司法修習生の多くが弁護士を目指すようになりました。大企業の訴訟案件をこなしたり、渉外などの分野で華々しく活躍し、成功すれば年俸も高いからです。また昔は人気がなかった検察官も最近は志望する修習生が増えている。日本の刑事司法で一番権力があるのは検事です。裁判官は審査するだけで、検事が実質的に有罪無罪を決めているようなものですから。
裁判所の支配、統制システムは第11代最高裁長官だった矢口氏が確立しました。但し、矢口氏は若手裁判官の人事にまでは介入しませんでした。少なくとも、若手に関しては能力に応じて処遇するようにしていた。ところが、最近は新任の刑事補を採用する場合でも、その人の能力のみならず、事務総局の言うことをきく人物がどうかまで考慮する傾向が指摘されています。現在の竹崎最高裁長官の実権、支配権は矢口長官以上とも言われますが、なぜ彼がそれほどの力を持ったのか。その背景には裁判員制度導入があります。
現行の裁判員制度につては、今後改善すべき欠点はあるものの、市民の司法参加という意味では、評価されるべきだとは思います。しかし、「竹崎氏らには別の思惑があった」といいます。「裁判員制度を導入することで、刑事裁判に脚光を集め、近年民事系に比べて著しく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を強化し、同時に人事権を掌握しようという狙いがあった」そう言われているのです。そして思惑通り、裁判員制度導入以降は、刑事系の裁判官や書記官が増員され、主要ポストの多くが竹崎氏に近い刑事系裁判官で占められるようになった。その結果、究極の情実人事が実現したわけです。
その竹崎氏は先ごろ、健康問題を理由に3月いっぱいで退任すると唐突に発表しました。本来の任期である7月7日から3ヶ月前倒しで、後任も未定の退任発表は極めて異例といえました。その後退任は寺田氏(現・最高裁判事)に決まったようですが、誰が後任になろうと、今のシステムは変わらないのではないかと思います。本気で裁判所を改善しようと考えるなら、法曹一元制度、つまり弁護士経験者を裁判官に登用する制度を導入するしかありません。現状の日本の弁護士の能力については、上から下までの格差が激しいのは事実でしょう。しかし、質の高い弁護士は人権感覚に優れ、謙虚さもある。そういう人が裁判官をやった方が、今よりよほど質の高い裁判が行なわれると確信しています。
『週刊現代』3.22
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