加藤のメモ的日記
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2014年01月10日(金) 北朝鮮張成沢

北朝鮮・張成沢の処刑をめぐる考察

2013、12月12日、北朝鮮のナンバー2で、若い独裁者・金正恩の摂政役を務めていた張成沢が、特別軍事法廷で死刑を言い渡され、即日処刑された。張は、2011年12月に死去した金正恩の父親、金正日の姉・金敬姫の夫で、金正日政権の末期から、妻とともに外資導入や、軽工業振興など、経済再建政策の最高責任者をしていた。金正日は2008年に病気で倒れたあと、後継者として息子たちの中から金正恩を選び、その際に張成沢を正恩の摂政役として置くことを決めた。張は、国防委員長など3つの要職を兼務し、職位的にもナンバー2だった。

1994年の金正日の死から2011年まで権力の座にいた金正日は、前半期に中国を修正主義と呼んで嫌っていたが2001年頃から親中国に転向し、自ら繰り返して中国を訪問して経済を視察し、中国流の市場化の容認という経済政策を進めることで北の経済立て直そうとした。張成沢はその政策の担当であり、中国を何度も訪問し、北朝鮮で最も中国と繋がっていた高官だった。

金正日の死後、権力の座を引き継いだ金正恩は当初、父の遺言を守り、張正沢に経済政策を任せ張は中国国境沿いや北の国内各所に経済特区を作る政策などを進めていた。しかし、金正日の死から1年間が過ぎた今年の春頃から張は外されるようになった。今年5月の中国訪問は張でなく、軍人出身の雀龍海
が、正恩の特使として派遣された。

雀はもともと張と親しく、過去には張と一緒に失脚させられたこともあるが、正恩は権力者となったあと、雀を張と対抗させる形で要職に就かせた。中国側は朝鮮側がかってに張を雀と入れ替えたことに不満で、雀は訪中したものの成果が少なかった。

今春から11月にかけて、張成沢の権限が削がれ特異な経済政策の担当を外され、スポーツや教育関係の担当をさせられていた。11月には張の側近2人が処刑され、12月17日の金正日の2周忌を前に、張自らも解任され処刑された。12月初めに韓国の諜報部が張の失脚を指摘し、当社は「北が経済的に依存している中国とのパイプ役で、正恩の叔父でもある張が失脚するはずがないという見方もあったが、その後、北のテレビがそれまで何度も流していた正恩と張の視察時の映像から張の姿を削除して流し、数日後には張が政治局会議の席上で逮捕される映像がテレビで放映され、労働新聞が一面で張成沢を非難する記事を載せ、有罪判決と処刑が行なわれ、翌日発表になった。

張は2度失脚し、2度復権した。1回目は1970年代の大学時代に、金正日と親しくしてもらうとともに、金敬姫の恋人になった頃、金敬姫の父親である、初代独裁者・金正日から疎んぜられ、地方の大学に転校させられたが、その後平壌に戻って金敬姫と結婚することを許された。2回目は、金正日のもとで経済政策を担当していた2003年、金正日が冷戦後の経済難を乗り切るための軍事優先策をやめて労働党重視に転じていく際の権力闘争の一環で失脚させられたが、2年後には復権し初め、北のナンバー2まで昇格した。

何度失脚しても復権し、最後は権力を持って経済改革を進める張は「北朝鮮の��小平」と期待された。同様に失脚と復権を繰り返したあとで、経済改革をやって中国を経済大国に押し上げた��小平に似ているからだった。しかし、北と中国は全く違う国だった。��小平を期待されたからこそ、張は復権しないよう、即日処刑されたと考えられる。

張成沢が処刑されたことの意味は、張が北朝鮮で果たしていたいくつもの役割の内、どの面を見るかによって変わってくる。金正恩と張の関係性で見ると、金正恩は張に摂政をしてもらえという父親の命令に反して、叔父の張を殺してしまった。金正恩は父の死後、2年かけて張を外していったが、いきなり最高権力者として出てきた金正恩としては自分が○○任したときにすでにナンバー2だった張を失脚させるために、それだけ時間をかけた根回しが必要だったことを意味していた。

正恩はこの2年間に張だけでなく、労働党と軍の幹部218人の内100人以上を更迭した。代わりに1964年以降に生まれた若い世代が幹部に登用されている。2年前に金正日の葬儀で、霊柩車の脇に付き従っていた金正恩を含む8人、つまり金正日の死去の時点で北朝鮮の権力中枢にいた8人の内、霊柩車の左側にいた季英鍋、金英春、金正党、重東則という軍人4人は全員がその後の2年間で失脚した。

右側にいたのは金正恩、張成沢のほか金基南党書記、雀泰春という労働党の2人だったが張が今回、失脚し金と雀は80歳代の高齢で、いずれ引退する。金正恩は金正日の時代に中枢にいた年上の高官たちを次々と辞めさせ、最後の仕上げが張の処刑だった感がある。

金正恩は馬鹿だから。自分の叔父まで殺してしまった。これから北は権力闘争で不安定になる、といったよくある見方と対照的に、金正恩が2年間で自分を子供扱いしかねない父親の側近たちを全員外し、代わりに自分に忠誠を誓う若手を登用し、その仕上げが張の処刑だったと見ると、今後の北は政治的に意外と安定するかもしれない。張が政治局会議の席上で逮捕される場面をテレビで放映し、即日処刑にしたのは金正恩は自分に忠誠を誓わないものは、ナンバー2だろうが叔父だろうが処刑することを北の全員に思い知らせるショック戦法だったと考えられる。



『田中宇の国際ニュース解説』2013 12.18


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