加藤のメモ的日記
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2013年03月18日(月) 病気と闘うな医者と闘え��

昨年、九州に住む義母がクモ膜下出血で倒れ、地域の救命救急センターに入院、手術をを受けた。しかし、その手術が病院側の都合としか思えない理由で遅れ、義母は水頭症を合併してしまったのだ。これは放置しておくと、たとえクモ膜下出血は治っても、痴呆症になってしまう。そこで私は、脳外科の専門医32人に水頭症の治療法について聞いてみた。すると、全員口を揃えて、頭蓋内からチューブで髄液を腹膜に流すシャント療法をすればいいと答えてくれた。

ところが、義母の入院先の病院は、これをやろうとしない。高圧酸素療法とリハビリでいい。少しずつ快方に向かっていると言い張るのだ。しかし、どうしても私にはそうには見えず、義父と相談し、東京の病院に転院させた。すぐにシャント療法をしてもらうと義母はたちまち回復し、今は元気で暮らしている。高圧酸素療法は長くしていると脳に障害を与えるとされ、この場合、現在ではあまり見られない治療法である。

大都市のように、地域にいくつもの病院があり、患者獲得を競っているのならば、成功率の高い治療法を積極的に取り入れていくのだろうが、義母が住む地域は一つの救命救急センターしかなく、旧態依然の治療法をしていてもまかり通ってしまうのだろう。私は医者同士の情報交換を常日頃やっているから、こういった緊急事態のときでも、医者仲間にいくらでも相談できた。それで、義母は九死に一生を得た。しかし、一般の人はこうはいかないだろう。この経験は、私に現代の医療に対して、さまざまなことを考えさせた。

私がまず考えたのは、私がどうしても特別のケースだということである。つまり、一般の人にとっては、身内や親しくしている人に医者ないなければ私のように気軽に他の医者からアドバイスを受けられない。また、受けたとしても、それではどの治療法がいいのか判断もできないだろうし、さらにいいと思った治療法を、医者にしてほしいと要求できるだろうか。

医者というのは、その技術レベルの高低に関係なく、“自分が信じる治療法”というのを持っているだろうから、それにそぐわない治療法を要求してもしてくれない。だから“セカンドオピニオン”を聞いて終わりではなく、いい治療があれば、それをしてくれる病院の元へ転院させた方がいいに決まっている。ただ、あらかじめ転院先の了承を取り、うちで引き取りますと強く言ってもらわないと、元の病院は自らの治療法を正当化して、転院させないようにするものである。やはり、了承を取るにも、ツテがモノを言うのだ。こう考えると、一般の人にとって、いい治療を受ける機会は、ほとんど閉ざされている。それほど現代の日本の医療は絶望的なのである。

そんなわけで、この本は、私を一つの“際立った立場”にた立たせることになった。これまで、私は数多くの医療に関する本を出してきたが、そのどれとも違う試みでやらざるを得なくなったのだ。というのも、私のカッパブックスでの前著『開業医の嘘 大病院の罠』から1年が経ち、その間に私もこんな経験をしたのだから、読者の医療不信はもう極限にまで達したのではないかと思ったからだ。

現在、朝、新聞を開くと、医療ミスの記事が載っていない日はないようになった。ついこの間、患者取り違え手術事件があったと思ったら、また違う病院で…というように、もうとめどもないところまで医療ミスはきている。こうなると、医療ミスというのは、患者にとっては大問題であるが、医者にとっては日常茶半の単なる事故でしかない。こんな現実を前にして、私のような医者であり、医療ジャーナリストが何を書けばいいというのか。問題摘出も検証も、告発ももう何度もやってきた。そして、そのような本は私以外の多くの医者や識者も繰り返し書いてきている。しかし、いい医者もいれば、適切な医療もある。しかしこの現実をそのまま表現してしまうと、現代の医療不信の確信は描けないのだ。

私はこの本を、次のような立場で書く。
○医者は全員嘘つきである。
○診断、検査など、すべてウソである。
○完全な治療法などどこにもない
○現代の医療制度は、すべて間違っている。
○医者の言葉を信じてはいけない。
○病院は患者の病気を治すためにあるのではない。

つまり、これまでのあなたが信じてきた医者と医療に関する考えを、すべて捨ててほしい。そして、医者と闘ってほしいのだ。病気とばかり闘うのではなく、医者と闘ってほしいのである。



『病気と闘うな医者と闘え』


加藤  |MAIL