加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2011年04月21日(木) |
「熊取6人衆」真の研究者たち |
御用学者、御用記者、御用文化人と言った輩は、どんな分野にもいる。ただ、福島原発をめぐる彼ら、彼女らの言動は常軌を逸したものが多すぎる。「最悪を想定しても、外部に多量の放射能が出るとは考えられません」「住民の避難域?10�劼能淑�」「原発は多重の安全対策が施されています。一時的に放射性物質が飛散しても、住民はすぐに戻れるでしょう」
以上は、いずれは政府の原子力安全委員会などを務めた東大、阪大教授らが3月12日から15日にかけて発した言説だ。すべてはあとに覆されたが、事態が悪化すると今度は開き直る輩が現れた。政府系の研究所幹部を務めた学者はテレビの討論番組で「今回の事故はいい教訓です。これから安全性を高めればいい」と言い放ち原発CMで「安全性」を強調していた女性経済評論家はこうまくしたてている。
「そもそも放射性物質が、実際よりかなり怖いと思われていることに問題があるんですよ」「今回の原子力の問題、死者が出ましたか?津波の死者と比べて、報道のされ具合と死者数のバランスが悪いと思います」この愚劣な言動の裏にあるのは保身なのか、それとも単に恥知らずなだけなのか。私は数年前に見たドキュメンタリーを思い出す。‘08年の秋、大阪の毎日放送が取材・放映した「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験実験所、“異端”の研究者たち」と題した番組と、その後日談だ。
京大は、大阪府熊取町に研究用の原子炉を持つが、ここには一風変わった6人の研究者がいた。原子力を研究しつつ原発に懐疑的な立場をとり、その危険性を訴え続けたのだ。。彼らは「熊取6人衆」などと呼ばれ、閉鎖的な「原子力村」の中で異端視され、徹底して排斥された。
6人は、京大や阪大などを卒業したエリート研究者だったが、教授どころか准教授にもなれず、助教(助手)や講師のまま定年を迎えていった。今も残るのは今中哲二氏と小出裕章氏のみ。二人もやはり、助教のままだ。真夏でもエアコンを使わぬという質素な研究室。取材カメラを前に二人は訥々と語る。「原子力を選ぶか否かは、一人一人がどう生きるか、どんな地球をつくるかの問題で、それぞれに考えていただくしかない。ただ、私は科学者の立場から自分の責任を果たしたい」「原子力の専門家という立場から原子力に警告を発し続ける、そんな人間が必要なんです」
大勢に抗い、清貧に甘んじ、自らの信念を貫く彼らに真の知識人の姿を見たように思った。その警告を真摯に受け止めていれば、今回の惨事を防ぎ得たのではないか、との悔いも覚える。その番組は、反原発色が滲み出ていたが、過剰な演出を抑えた秀作ドキュメンタリーだった。ところが地元・関西電力は猛烈に噛みついた。日曜の深夜、それも大阪ローカルの放送なのに、同局の全番組から広告を引き上げ、「原発がいかに安全か」という講習を局幹部が受けるようねじ込んできたのだ。
馬鹿げた話だが、各地域の電力を独占供給する電力会社は意に沿わぬ学者やメディアを徹底的に締めあげ、一方で御用学者や御用メディアに甘い汁を吸わせてきた。私が知る記者は電力会社からPR記事への協力を依頼され、そのギャラに仰天したという。まともに記事を書いていれば、稼ぐのに数カ月は優にかかる額だったからだ。
信念を曲げてすり寄れば、甘い汁が待っている。いや、実は自らの信念すら持たず、ひたすら利得に群がる恥知らずが、この国には跋扈している。福島の事故は私たちが今後何年も、あるいは何十年も苦闘を続けねばならぬ大惨事だが、せめて利得の周辺で蠢く恥知らずの化けの皮だけは、これを機に剥いでおかねばならない。
『週刊現代』
|