加藤のメモ的日記
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2010年11月09日(火) 商才民族の素顔と実力

どこにでもいて、いつも話題になりながら、それでいて本当の姿が容易につかめない集団。それが華僑、ユダヤ人、印僑である。共に外からはうかがえない同族性、強固な団結力を持ちながら、一方で融通無碍な浸透力、土着性とすばやい行動力を持っている。このうち華僑は東南アジアを中心に2000万人から2500万人。住む国、経済力、社会的地位はさまざまだが、目まぐるしく変転する世界でしたたかに生きている。

インドネシア華僑財閥のヤン・ダルマディ、シンガポールの大立者、胡文虎、タイ・バンコク銀行の創立者ソンポンパニット、そして香港の国際金融センターを牛耳る馬景喜の各氏ら……。いずれも、経済の世界で華僑の実力を遺憾なく発揮している。経済の世界に限らない、リー・クアンユー・シンガポール首相を筆頭に、ネ・ウィン・ビルマ大統領。過去の世界では、南北ベトナムのゴ・ジンジェム、グエン・バンチューとホー・チミン、そしてカンボジアのロン・ノルの各大統領と東南アジアの政治は、華僑の存在を抜きにしては語れない。

華僑は実は、日本経済にとっても欠かせない存在だった。第二次世界大戦でアジアの植民地経済体制が崩壊したとき、貿易で再生を目指す日本はアジアの華僑をパートナーとした。刻苦勤勉、勤倹貯蓄の儒教精神を共通して持つ日本人と華僑のタイアップこそ、日本がアジアで今日の大をなした秘訣にほかならない。

そういえば、日本でも作家・陳舜臣、経済評論家・邱永漢、日清食品会長・安藤百福、囲碁・林海峯、ソフトバンク前監督・王貞治の各氏、女優・范文雀、元宝塚・鳳蘭、歌手・ジュディ・オング、アグネス・チャンらはいずれも華僑といっていい。華僑は、我々の親しい「お隣さん」でもあるわけだ。
「海水の至る所に華僑あり」という。華僑は、印僑、ユダヤ人と並び、国境を越えて生きているだけに、その国、人によってさまざまに語られてきた。ある人は「祖国なき哀れな棄民」という。

1978年春以降、ベトナムを追われた華僑の群れは、ボートピープルとなって南シナ海を漂流し、、国際社会の涙と同情を誘った。「憐れな棄民」と見る人に対して「こざかしい商人」とまったく反対の華僑像を思い浮かべる人もいる。たしかにインドネシアでは押さえこまれているとはいいながら、大は財閥から小商人に至るまで、主に穀物を中心とした流通部門に食い込み、華僑なしではインドネシアの経済が二進も三進もいかないのも現実である。

総じていえば、ごく少数のエリート華僑は別として、大多数の華僑は現在も多くの国において政治から疎外されており、その社会的地位も決して高いとはいえない。居住国政府が華僑の活動を経済分野に押しとどめているため、華僑も経済分野で懸命に活路を開こうと志し、これが特異な存在として当該国民から一層警戒されている事実を無視できない。有名華僑は、名もない大多数の華僑の上に頭を出した氷山の一角である。

華僑は東南アジアはもちろんのこと、カナダ、スペイン、ポルトガル、そしてアマゾンの奥地にまで入り込んでおり、その行動は万華鏡のように多彩である。「出世華僑」は実業の面では意識的に華僑社会から脱しようとする半面、華僑社会への奉仕、恩返しを絶えず心がけている。故周恩来首相は、1922年から3年間、パリの下町13区の木賃宿で、��小平副主席と共に明日の中国を熱っぽく語りあった。13区は、今日も中華街として、パリのベトナム人と張り合っているのは歴史の皮肉だろうか。

シンガポール、香港、ベトナム、サンフランシスコ、福建、広東両省といった華僑の拠点も時代の流れとともに大きく変貌し、いわゆる既成の華僑像ではつかみ切れなくなっている。5万人余の日本人華僑は2000万人を優に超える世界華僑の中では、まったくの少数派だが、ルーツ、業態、組織も極めてさまざまでユニークさをもって一派をなしている。日本華僑が横浜、神戸の華僑街から抜け出し東京、大阪といった大都市で近代的なビジネスに参画しつつあるのは注目すべきだ。中国、台湾に次ぐ「第三の中国」とささやかれるシンガポールで、時代を狙う超エリートの呉作棟商工相が、「私は中国語ができません」と率直に言って見せたのは、示唆に富んでいる。


『華僑』


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