加藤のメモ的日記
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ノアでまさかの惨事が起こった。13日の広島グリーンアリーナ大会で、三沢光晴(46)が試合中に動かなくなり救急車で病院に搬送された。三沢はGHCタッグ選手権試合に出場していたが斉藤彰利にバックドロップを受けた直後に動かなくなった。リング上では心臓マッサージ、人工呼吸などのの応急処置が施されたが、意識不明の状態で病院に運ばれ心肺停止状態という。三沢は塩崎剛と組み。斉藤、バイソン組のタッグ王座に挑戦していた。事故があったのは26分過ぎだった。斉藤が三沢を担ぎ、バイソンがコーナー上からアイアンクローボムを放つ。
そのまま三沢は斉藤につかまり、カカト落とし、コーナーでの串刺しの膝蹴りを食らった。次の瞬間だった。三沢を抱えた斉藤はひねりを入れたバックドロップを放った。誰もが不屈の三沢が立ち上がってくると予想していた。しかし様子がおかしい。リング状で「く」の字に体を曲げた三沢がピクリとも動かない。会場が騒然とする中、西永周一レフェリーも異変をキャッチし、試合続行不可能と判断しレフェリーストップが宣告された。
すぐさまリングドクターや選手、スタッフが次々とリングに駆けつける。三沢は以前動かない。心臓マッサージ、人工呼吸が続けられ、選手たちは「社長」「社長」と連呼するが三沢が目を開けることはなかった。三沢の様態は意識不明。心肺は停止しているという。三沢が動かなくなるまで試合は一方的な王者のペースだった。パートナーの塩崎が捕まる展開が続き、三沢もアイアンクローと延髄の合体技や、バイソンの強烈なショルダータックルなどを食らい試合中も険しい表情だった。三沢はこれまでの歴戦で首に爆弾を抱えており、バックドロップのダメージが致命傷になった可能性がある。リング上で成人男性の半分近くの脈はあったもようだ。
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プロレス過去の重大事故 日本での最初の死亡事故は女子プロレスのプラム麻理子だった。1997年8月15日のタッグマッチで尾崎魔弓のライガーボムを受けて意識不明に陥った。この翌日に急性硬膜下出血、脳挫傷により死去。試合中にリング上で発生した事故で死去した初めての選手だった。
新日本の福井雅一は急性硬膜下血腫のため2000年4月14日に宮城県気仙沼の病院で亡くなった。福田は前年の10月17日の神戸大会で頭部を強打し、硬膜下出血が認められ療養。復帰後の2月にも頭部を打ち、これが致命傷になったようだ。これが日本男子プロレス界での初めての試合での悲劇となった。また海外では、1999年5月23日、WWF大会でオーエンハートは天井から吊るされて登場する予定だったが、ワイヤが外れてリングに転落。この事故が原因で同日に死去、プロレス一家としておなじみのハートファミリーの一員。80年代の終わりごろには新日にも参戦した。元IWGPジュニアヘビー級王者。
九州スポーツ
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