++るうの独り言++
目次へ|前へ|次へ
悪友その1が「復活にだいぶ時間かかってるじゃん。インフルエンザだったのかい?」と。
私がそうだというと
「高熱でたの? ノドは? お腹くだる? 薬は医者にあったの?」 と矢継ぎ早の質問。 私はここぞとばかり胸にたまってたことを切々と話した。
「大変だったねー。私はまだ今年は風邪にもかかってないが。ひどいんだねえ。こうやってしゃべってるのつらくない? 大丈夫?」
たしかにまだしゃべるのはちょっとつらかったんだが、しゃべりたいことをたくさん話してなんかすっきりした。 お見舞いありがとう! と心から感謝。
んで、 ご近所のA夫人+数人。 「蓮見さん、インフルエンザにかかっちゃったんだってー?」 どこぞから情報を得たらしい(^^ゞ
私がそうだというと
「私もさー、年末に罹っちゃって大変だったんだよー。熱出るしさー、薬は無いしさー」 その後A夫人は、自分の経験をとうとうと述べはじめた。 でその話のはしはしで 「お腹くだるんだよねー」とか「食欲なくなるでしょ?」などと私にふる。
私、言葉は相づちぐらいしか発しなかったが、なんか胸がもやもやして急にしゃべるのがつらくなった。 「まだ本調子じゃなくて。失礼しますー」とその場を去った。
----------------------------------
よく、「同じ経験した者にしかその気持ちはわからない」とか「いろいろな経験をすると気持ちが優しくなれる」とかいうが、 それはそれで確かに真実の部分もあるのだが、 そこに実は大きな落とし穴があるのに気がついた。
『同化』という落とし穴である。
自分も同じ経験をしたので、 やはりそうであるあの人も私と同じ思いになるだろう、同じようなことをしただろう、同じような状況になったに違いない。 と 自分のことをそのまま相手に当てはめてしまうこと。
そして「相手に対して優しくなる」どころか、 「私もそれとっくに経験してるんだからあんたよりわかってるのよ」 というような優位を見せ付けてみたり、自分のそのときの判断や考えを押し付けてきたりするようになる。
まったく同じ場にいて同じ体験をしても、 それぞれの考え方感じ方、そして目にしたものさえ違う。 私は私。あなたはあなた。 これを絶対忘れちゃいけない。
が、人はしばしば忘れてしまい、話相手の心にしこりを残す。 それだったら、同じ経験のないほうが却ってよかったりするのだ。
インフルエンザに罹ったことのない悪友は、 インフルエンザに罹ったA夫人よりもずーーーーと多くの元気を私に与えたし、 私は私で「インフルエンザに罹ってないから私の本当の苦しさは分からないのよ!」 などとは全然思わなかった。
・・・これはなかなか示唆に富んでる話だな。
と、まてよ。 私はヘルパーの仕事をしてて、 自分の人生経験の乏しさをいつも嘆いているが、 それが却っていいほうに作用することもあるのかもしれない。 また、経験がないから心を寄せられないとか元気付けられないとかいうのは、違うような気がしてきた。
・・・ふ〜む。なーるほどね。
◆昔の今日の記事
|