++るうの独り言++
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2002年02月20日(水) ムカムカムカ

人んちの掲示板見てて不快な気分になる。
・・・ストレスを拾ってくるようなことをしなくてもいいんだが
あまりにもあまりなのでここで吐き出しておく。
でないと、またどこかで爆発してしまうといけないから。*わはは*

確かに
「溺れるもの藁をもつかむ」って心境はよくわかる。
んが、実際に溺れたとき、「藁」ごときにすがるのはなんの役にもたたない、というか、すがれば「危険」という判断をする位の分別と経験はある。
また、「藁」ごときにすがってどうにかなるのなら、それは「溺れる」という大変困難な状況には実は無いってことじゃないのか? 自分が「溺れてる」と思い込んでるだけなんじゃないのか?


「私は他の人よりがんばってる、だから他のひとより当然偉い、わたしほど一生懸命な人間はいない」
「こんなに私はがんばってるんだから、能力も志も高いのだから、当然誰もが私を認めるはず、そうでなくていけない。私を褒めない認めないなんておかしい。」
が、実際は認められない。
(自分が感動した、という本にさえ簡単に共感してもらえないのが現状)
それで、本人のいうところの「幸せ」になれないのだ。
「幸せ」=「認められることによる充足」だと思ってるらしい。
誰かに「いいこいいこ」してもらう手がほしいってことか。
(もっともその「手」はだれでも欲しくなることはあるけどね。でももらったからって「幸せ」とはおもわんし、もらえなくても不幸ともおもわんが)

・・・まったく、ある程度の社会的地位を確保しいい年してるのに、子どもっぽいプライドが鼻についてしょうがない。
自分が感動した本に、他の人が感動しないからって、「他の人は余裕がある」なんて短絡思考ができるほどのこどもっぽさだ。
(わたしはむしろ「あの本にそんなに感動できるんだから余裕あるんだな」と思うが)


就職して、自分が通ってきた以外のさまざまな人生を知り、
結婚し、子どもができ
こうしてまた、別の人生に触れるようなことをしていると
「日々家族が仲良く元気で暮らせる」ということ以上の幸せはないと思う。
子どもの笑顔、旦那の笑顔を作り出す手助けができる幸せ。
人に認められるよりも、自分が他人を認めその時の笑顔に関われるというほうが幸せだ。
と私は思っている。


「私は理想が高いから、そんなことだけに満足できないの」
とでもいうのだろうか。
うん。それならやっぱり幸せにはなれないね。(^^ゞ 
それでよく「信仰をもっている」なんて言えるもんだ。わはは。

「幸せ」を闇雲に追い求めていくことが、どんどん不幸な方向へ進んでいくという、これが「スパイラル」ってやつですか?(笑)

言葉を飾って自分を美化するまえに
小さなあまりかっこよくないことからこつこつとはじめてみちゃーどうでしょうかね。自分のことより、他人の心に思いを馳せてみちゃーどうでしょうかね。
例えば、ひとんちの掲示板に長引用する暇があるんなら、
電話代をかけて覗きに来てくれる人のためにまず、じぶんちのHP表紙のクリスマスソングをどうにかするとかさ。(言い過ぎ極れり!)




◆昔の今日の記事


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