++るうの独り言++
目次へ|前へ|次へ
人んちの掲示板見てて不快な気分になる。 ・・・ストレスを拾ってくるようなことをしなくてもいいんだが あまりにもあまりなのでここで吐き出しておく。 でないと、またどこかで爆発してしまうといけないから。*わはは*
確かに 「溺れるもの藁をもつかむ」って心境はよくわかる。 んが、実際に溺れたとき、「藁」ごときにすがるのはなんの役にもたたない、というか、すがれば「危険」という判断をする位の分別と経験はある。 また、「藁」ごときにすがってどうにかなるのなら、それは「溺れる」という大変困難な状況には実は無いってことじゃないのか? 自分が「溺れてる」と思い込んでるだけなんじゃないのか?
「私は他の人よりがんばってる、だから他のひとより当然偉い、わたしほど一生懸命な人間はいない」 「こんなに私はがんばってるんだから、能力も志も高いのだから、当然誰もが私を認めるはず、そうでなくていけない。私を褒めない認めないなんておかしい。」 が、実際は認められない。 (自分が感動した、という本にさえ簡単に共感してもらえないのが現状) それで、本人のいうところの「幸せ」になれないのだ。 「幸せ」=「認められることによる充足」だと思ってるらしい。 誰かに「いいこいいこ」してもらう手がほしいってことか。 (もっともその「手」はだれでも欲しくなることはあるけどね。でももらったからって「幸せ」とはおもわんし、もらえなくても不幸ともおもわんが)
・・・まったく、ある程度の社会的地位を確保しいい年してるのに、子どもっぽいプライドが鼻についてしょうがない。 自分が感動した本に、他の人が感動しないからって、「他の人は余裕がある」なんて短絡思考ができるほどのこどもっぽさだ。 (わたしはむしろ「あの本にそんなに感動できるんだから余裕あるんだな」と思うが)
就職して、自分が通ってきた以外のさまざまな人生を知り、 結婚し、子どもができ こうしてまた、別の人生に触れるようなことをしていると 「日々家族が仲良く元気で暮らせる」ということ以上の幸せはないと思う。 子どもの笑顔、旦那の笑顔を作り出す手助けができる幸せ。 人に認められるよりも、自分が他人を認めその時の笑顔に関われるというほうが幸せだ。 と私は思っている。
「私は理想が高いから、そんなことだけに満足できないの」 とでもいうのだろうか。 うん。それならやっぱり幸せにはなれないね。(^^ゞ それでよく「信仰をもっている」なんて言えるもんだ。わはは。
「幸せ」を闇雲に追い求めていくことが、どんどん不幸な方向へ進んでいくという、これが「スパイラル」ってやつですか?(笑)
言葉を飾って自分を美化するまえに 小さなあまりかっこよくないことからこつこつとはじめてみちゃーどうでしょうかね。自分のことより、他人の心に思いを馳せてみちゃーどうでしょうかね。 例えば、ひとんちの掲示板に長引用する暇があるんなら、 電話代をかけて覗きに来てくれる人のためにまず、じぶんちのHP表紙のクリスマスソングをどうにかするとかさ。(言い過ぎ極れり!)
◆昔の今日の記事
|