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2005年10月20日(木) ■ |
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「ヴェラ・ドレイク」は80点 |
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冒頭、イギリス労働者階級らしいアパート群に帰ってきたヴェラ・ドレイクは、病床の母親を見舞い、一人暮らしの青年にを夕食に招待し、いつものように鼻歌を歌いながら、夕食の準備をする。と、次ぎつぎと娘や夫、息子が帰ってくる。小さいテーブルを囲んで和やかな会話を交わし、団らんが始まる。ここで気がつく、おや、この場面は前作「人生は、時々晴れ」と正反対ではないか。前作では小さいテーブルを囲んで家族四人が食事をしているが、なんと四人とも違う方向を向いて食事をしているのだ。現代イギリスの貧しさの中の没コミュニケーションの問題を扱っていて、私などは非常にイタイ映画で忘れることが出来ないものであった。この作品の時代は会話の中からどうやら世界大戦直後の時代らしい。(実際は1950年)淡々と家族の日常が描かれる。ドレイクは心優しく世話好きな中年の主婦である。夫婦仲もいい。夫などは弟から「(ヴェラは)黄金だ」といわれ「ダイヤだ。」と言い返す。日常の描写がえんえん続く。(この作品でも一人もいわゆる美男美女は出てこない)日常の中にまるで日常のごとくドレイクが当時は法律的に禁止されていたあることをしている描写も入る。
となると、前作の反対だとすると、この映画は仲がいい家族の崩壊を描いているのだろうか。
監督 マイク・リー 出演 イメルダ・スタウントン フィル・デイヴィス
ヴェラは違法の堕胎をしていた。可哀そうな女たちを助けていたのだ。 しかし、やがて警察に知られることになる。 この描き方が全然切迫していない。 物語の1/4で彼女は逮捕されるだろうということがすでに予想される。 だとするとこの幸せな家庭の崩壊はどうなるのだろうか。 夫は妻を全面的に信頼している。 どころか、妻が一言しゃべっただけで、全てを理解してしまう。 ものすごくあっさりと、家庭は危機を乗り越える。 監督の描きたかったことはこれなのだ。 この「あっさり」がクライマックスだったのだ。 だから徹底したリアルさを求める。 この作品は、悲惨な運命が彼女に振りかかるのではあるが、 あと印象は不思議にも、家族の幸せな風景なのだ。 そして当時の堕胎違法という制度の非人間性も描く (正統な堕胎は何人も医者に出会い、「処女でしたか」などと聞かれ はじめて「許される」のである。)
イギリスの今というのは、こういう映画が出来るということは もしかしたら家庭のあり方が危機的なのかもしれない。 ただ、私はあまり心揺さぶられなかった。 やはりイギリスの昔の話だからなのか。
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