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2005年04月19日(火)
本多勝一「事実とは何か」について(17)

「美人コンクール発言事件」はいまや全学生の知るところとなる。
その後何回か大学祭実行委員会が開かれたが、某サークルは欠席したまま。
それがまた「糾弾」の対象となるであった。

わが大学新聞は沈黙を守っていた。
わたしは女性問題に疎く、
付け焼刃の学習では到底歯が立たないことを感じていた。
安易に記事にすると、われわれも「糾弾」の対象になってしまう。
一回だけ、先輩がエッセイの装いを持って、この「現象」にコメントしてくれた。
たぶんそのことを免罪符にして、
わたしは編集長の仕事を果たした、と思ったのかもしれない。

わたしはこの糾弾会がどのような決着を持ったのかを覚えていない。
(おそらく某サークルは女子学生の会が望む総括文を
嫌々ながら書かされたのだと思う)
ということは、わたしは最後まで「関わらなかった」ということなのだろう。
「それは賢明な判断だった」と誰かは言うかもしれない。
しかし、今だから言うが、あれは間違っていた。

新聞会は何の立場に立って書くのだろうか。
自分たちの思想を広げるためか。違う。(広げる思想もないが)
「当局」(大学経営者=文部省)か。もちろん違う。
自治会である以上、大学の全学生のために、
学生の立場に立った新聞つくりをしていかなければならなかった。
今起こっている糾弾会は本当はどういうことなのか、
学生たちは関心を持っていただろうし、
新聞会はそのことに応える義務があっただろう。

編集部に、編集長たる私に「勇気」と「覚悟」が足りなかった。

理論的な未熟はあったかもしれないが、
「足で書け」ば、
少なくとも事実関係で後ろ指差されることはなかっただろう、
と今になれば思う。
そうはいっても、あらゆる記事には「主張」(事実を選択するものさし)が
あるのだから、そこを突かれたら、後は理論対決になる。

あれは「糾弾」に値する発言ではなかった、
と、誠実にいっただろう。
それはおそらく全学生の支持するところだっただろうと思う。
理論の泥沼に入ることを避けて、世論対決にもっていくという戦略をとれば、
何とかなったかもしれない。

新聞会の「故意の無作為」に
あのときの某サークルに対し、
あのときの全学生に対し、
いまさらながら「ごめんなさい」とわたしは謝るだろう。

時機を逸せず、勇気をもって判断を下す、
それは本当に難しい。
そのとき大事なのは、やはり
われわれはどういう立場に立つか、ということなのだろう。
もうひとつそのいい例がある。
生協設立運動である。

以下次号。
(さすがになんか「総括文書」を書いたような疲れが(^^;)
次号更新は23日にさせてください。)