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2005年03月30日(水) ■ |
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「理由」は80点 |
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まず最初に宮部みゆきの原作を読んだときの私の感想です。(02年記す)
宮部みゆきは常に実験精神に溢れた作品を発表する。今回はルポルタージュ文学の体裁を借りて、高級マンション一家4人殺人事件の全貌を描こうとしている。いわば『証言』だけでひとつの物語を綴ろうというのである。その意図は成功したのだろうか。
ここには約7つの家族が映し出される。全て犯罪や殺人事件とは縁の無さそうな『普通』の家族であるが、全てそれでも何らかの鬱積、すれ違い、将来への危険な種を抱え込んだ家族達である。それらの家族の中にいる人々が少しずつ事件に絡んでくる。少し考えればあたりまえなのだが、『事件』にはありとあらゆる人々がいろいろな形で絡んでいる。被害者と容疑者だけではなく、事件の目撃者、間接的な容疑者、間接的な被害者、それらの人の家族、事件は完結し!もそれらの人々はずっとそのあとも生きていく。事件の前に長い歴史があり、事件の後こそ家族は闘いを始める。或いは何も変わらない。そういう小説は今まであまりなかった。その意味で宮部みゆきの実験は意味が有るだろう。
ただ『占有屋』の仕組みの説明は少しくどすぎたきらいがあるし、そのほかにも重複する場面があったりして分かりにくい。あと二割がたスリムにすればよかったかもしれない。
以上が原作の感想です。次に映画の感想。
「理由」大林宣彦監督 荒川一家四人殺人事件。その事件の関係者の証言と回想を連ね、紡ぐことによって事件の内容を追っていく。
宮部みゆきの原作を読んだときは、彼女には珍しく失敗作だと思っていた。ルポルタージュの体裁を持っていて、証言だけで長編小説を作っていくと言う「仕掛け」(彼女の長編小説は必ず仕掛けがある。そこが彼女のエンターテイメント性を保障している。)はいいのだが、「占有屋」の説明で、くどくなりすぎて肝心の犯人像に行き着く前で疲れてしまうのである。
私は勘違いしていた。この作品は、現代の象徴とも言える犯人を描くことが主眼なのではなかったのだ。映画を見てはっきり分かった。どうしてあんなにたくさんの人物を登場させる必要があったのか。単に犯人を一時かくまっただけの宿屋のことが主要登場人物になるのはなぜか。容疑者の石田さんの親の歴史まで「ルポ」されるのはなぜか。そのことが分からなかったのは、私の原作の「読み」が足りなかったのかもしれない。しかしそれ以上に映画の出来が良かったのだ。原作の冗長さをうまいこと切り捨て、100人以上にも及ぶ登場人物をほぼ原作通りに登場させてなお、作品は分散しないで見事にまとまっているように私には思えた。なぜか。
この映画の主人公はたびたび登場するマンションの管理者岸部一徳でもなければ、犯人や容疑者でもない。冒頭荒川地域の歴史を写真でつづっているが、主人公はだんだん都市化していく中でついに出来上がったツインタワーみたいな地上高くそびえるマンションという「隣が誰が住んでいるか、分からない地域」であり、何度も何度も登場する宿屋や容疑者の住んでいる「これから失われる下町」なのだ。そしてその中での「人のつながり」というあいまいな何かなのである。そういう意味で主人公はすべて普通の「人たち」になるのかもしれない。ほとんどの役者がスッピンで登場しているのも「客寄せ」のためではない。
普通の人たちを緊張感をもって描くというのは山田洋次が得意とするところではあるが、山田洋次はあくまで普通の人たちの個別のドラマに関心があった。しかし、この作品は「時代」そのものに関心がある。その中の普遍的な人のつながりに関心があるのだろう。印象的な場面はいくつかある。弟が姉とその赤ちゃんと「深刻な相談」をしながら散歩している。そこへ大山のぶよ演じる近所のおばちゃんがやってきて「まあ、若い夫婦ねえ。お散歩?」と聞いてくる。「ええ、赤ちゃんにあせもがあるので医者に見せに行くところなんです。」と弟が応えるのである。この二人は「リリィシュシュのすべて」で共演をした細山田隆人と伊藤歩である。あるいは宿屋の姑(菅井きん)がいつの間にか家出から帰ってきた嫁がギョーザをつくっているのを見て、「いやだいやだ。わたしゃ脂っこいものは苦手なんだよ」とこぼす。やがて「深刻な場面」のとき姑は孫から「口の端にギョーザの皮がついているよ」と指摘される。場内が爆笑した瞬間である。犯人に殺されたおばあちゃんは「介護施設」で葬式を終える。そのときは涙が出てきて困った。印象的な場面は人それぞれで違うだろう。エンディングの歌は、この作品のテーマをそのまま歌詞にしたもの。蛇足であった。
この作品は確かに筋を追おうとしたら分かりにくいのかもしれない。主要登場人物がいないからだけでなく、時制が行ったりきたりするからである。私は原作を読んでいたので全く違和感なく、しかも原作になかった犯人が殺人を犯す直接の動機まで台詞の中で言っているので実に分かりやすかった。しかし、あれはあくまで直接の動機である。人はいろんな解釈ができるだろう。分からなかった人はもう一度見てもらいたい。まだ見ていない人はぜひそのことを踏まえた上で見てもらいたい。見ごたえがありました。
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