日々あんだら
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2011年01月28日(金) 僕が万年筆を使う理由




去年の後半くらいからそうなんだけど、最近、ますます万年筆の使用頻度が上がっている。
というか、ほとんど万年筆しか使ってない。
たまにシャーペンやボールペンを使うと違和感を感じるくらいになってしまった。^^;

なぜ万年筆を使うのか。
万年筆を使ったところで字が綺麗になるわけではない。
書いてからインクが乾くまでに時間がかかるので、気を抜くとこすってかすれてしまうし、
縦書きにも向いてないと思う。
水性なので紙によってはにじんだり裏抜けしたりもする。
書き間違って修正テープで消した後、その上からは綺麗に書けない。
そして落としたり、場合によってはカバンに入れて持ち歩いてるだけでもインク漏れを起こしたりする。
使いやすさだけで言えば、10対0で油性ボールペンの圧勝である。

でも、万年筆で書くのは楽しい。
万年筆を常用するようになってから、特に仕事でのノートの消費量が格段に上がった。

一つは自己満足である。
周囲の人のほとんどがシャーペンやボールペンで書いている中、自分は違うペンで書いている。
はっきり言ってしまえば、そんな自分をかっこいいとまで思っている。(笑)
(元々、職場で某氏が万年筆を使っていて「かっこええなー」って思ったのが一つのきっかけなので
 自分に酔うのはしゃーない。笑)

一つは、使用している万年筆が母親から譲り受けたものだということ。
軸胴に小さな穴が開いていてインクが漏れていたのをメーカーでも直してもらえず、
自分でお風呂用のボンドを使って直したこともあり、愛着はさらに深くなった。

一つは、万年筆が「自分で育てる筆記具」だということ。
譲り受けてからまだ1年も経っていないんだけど、毎日使っている内に、
明らかに以前より書きやすくなってきた。
使い手の書き癖によってペン先の磨り減り方が変わり、結果としてその人に最も書き易いペンになる。
そうなったらもう一生モノだ。
そういうところに惹かれているというのが一番大きな理由だと思う。

さて、そうなるとたくさんの万年筆を使い分けるのは難しい。
色んなペンを使うのも楽しそうだけど、1本のペンを大切に育てて行く方が面白いと思う。
今持っているのが、母親からもらったモンブラン220。
軸の美しさと木の香りにやられてしまったセーラーの智頭杉万年筆。(赤ペンとして使用中)
あと、モンブラン220が古すぎてもうメーカーにも部品が残っていないそうなので、
なにかあった時のための部品取り用にもう1本同じのを買ってストックしてある。
この3本。

本当は気になるペンが他にも何本かあるんだけど、手を出すのはやめておこう。
…ビスコンティのホモサピエンスだけは実物見たらやられてしまうかもしれんけど。^^;;;
(今追いかけてる大きい仕事を取ったら自分へのご褒美で買おうかと。笑)



と、ここまで書いてて思ったんだけど、万年筆って機械式カメラに似ている。
使ってる内に少しずつ少しずつ自分の手に馴染んでくるところとか。
いつも持っているところの塗装が剥げて地金が見えてくるところとか。
同じ機種でも、自分の以外のカメラでは音とか感触とか、何かが少しだけ違って違和感を感じるところとか。
大切にメンテナンスしながら使えば、死ぬまで使えるところとか。

僕には万年筆にはまってしまう素地が最初からあったのかもしれない。
そう言えば、最近もう1つはまっている革製品も同じような特徴やね。


2011年のテーマも昨年に引き続いて「一生モノ」なのだ。(笑)


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